見出し画像

デッド・ドント・ダイ

6月5日(金)TBSラジオ「荻上チキsession22」にてジム・ジャームッシュ監督へのインタビューの文字起こしです。

荻上:今回、ジム監督が初めてゾンビをテーマにした映画を撮るということで大変楽しみにしていました。そして、これまでにないゾンビ映画を観ることができて大変興奮しています。(ジム監督は)ヴァンパイア映画を好きだときいていましたし、過去にヴァンパイアをテーマにした作品も撮られていたと思いますが、ヴァンパイアと違ってゾンビはどんな位置づけていらっしゃるのでしょうか?

画像1

ジャームッシュ:(ゾンビは)人間の凄くわかりやすいメタファーだと思います。何も考えない羊のように誰かに付き従う、そういった人間たちのメタファーです。それに比べてヴァンパイアの方が洗練されていると感じるし、ゾンビの方がより中身が虚ろな入れ物のような、優雅さが全くない存在のように感じます。

荻上:あの、ヴァンパイアもゾンビも両方意図しない仕方で支配される恐怖を描いていると・・・。どちらかというとヴァンパイアの方が王族だったり権威に従わされてしまう。一方でゾンビの方は全体主義のようにいつのまにか動員されていしまうという怖さがあると思います。今回、ゾンビというものを選んだ理由を教えてください。

ジャームッシュ:僕のゾンビは、ポストジョージロメロなゾンビです。初期のゾンビ映画というのはコントロールできるような存在でした。ロメロ監督が登場したことによってアンデッドとしてのゾンビが誕生しました。私たちと同じような人間たちであり、私たちの社会の外から来るアウトサイダーではなく我々の社会の内側にいる近所にいる、そういった人々という位置づけになったのです。そういった純化してしまう人間の凄くわかりやすいメタファーだと僕はみています。

荻上:ゾンビという群れの一員にされてしまうという恐怖の一方で、ゾンビ同士コミュニケーションができないという孤独の恐怖も描いています。今回、Wi-Fiゾンビなどの様々なユニークなゾンビというのはこういった孤立の面に当てたということでしょうか?

ジャームッシュ:そうなんだよね。僕らの映画の中では、生前人間だった時に自分が惹かれていたもの、例えば珈琲、ワイン、それから薬、Wi-Fi、携帯、こういったものに惹かれているんです。他にも思考力は全くないんだけれども、自分たちに一番慣れ親しんでいる自分の好きだったもの、そういった惹かれるゾンビたちになっています。ゾンビたちもある種比喩というか寓意的な存在です。自分のアイデンティティからも離れていくし、自分の持つ意味からも離れていく。そういう寓話的な存在ではないでしょうか?虚ろな貝殻のような・・・。今回はあえて死を描いていません。死んだ後、人間の体からは液体が失せますが、今回は粉のようなものを視覚的に血のように描いています。

荻上:それは、何か別のものに変容してしまうということなのでしょうか?

ジャームッシュ:科学的な映画じゃないからね。ゾンビ映画だから・・・(笑)

画像2

荻上:そんなゾンビと戦うのがゴーストバスターズだったり、カイロレンだったりと映画界のスターたちが向き合っていくわけですけれども・・・こういった役者たちもジム監督の映画の中では日常の中で生活をエンジョイする、淡々とした小さな幸福というものを大事にするようなキャラクターたちだったと思います。そうしたような人物たちがアポカリプスの中に没入されていくという、こういったアイデアはどういった着想から得たんでしょうか?

ジャームッシュ:小さな町というアイデアが気に入ったんです。そうするとそのキャラクターが強いと、典型的なクリスチャンに近いぐらいのキャラクターとして描けると思ったんです。町の人たちは悪い人たちではない。警察も含めて自分のできることをやっているだけ。でも、何か超自然的なもの、不自然なものと直面しているわけです。普通の場所がこのメタファーには一番良い舞台だと思ったんです。

荻上:映画の中にはロメロ監督作品からの引用を交えたりしていますし、それに留まらず作品のある仕掛けとして「ゾンビ映画とは何か?」と問いかけるような構成となっています。こういったメタゾンビ作品のようなものに仕上げようとした理由を教えてください。

ジャームッシュ:最初はくだらないと思うぐらいのコメディにしたかったんです。そういうものが残っているとは思うんですけれども、ホラー映画の公式というものを使おうと思ったわけではありません。ホラー映画では少しずつテンションが積みあがっていって、凄く怖くなってしまう瞬間に繋がってゆく。その仕掛けというものは今回は使っていません。そう、使っていないんです。メタファー的なコメディを作りたかったからです。そこにちょっと、ちょっとだけ、特に終わりの方で何か警鐘を鳴らすような・・・そんな映画にしたかったんです。

荻上:ゾンビを描く映画の中では、例えば差別の怖さ、あるいは共産主義の怖さ、あるいはアウトブレイクの怖さ、色々な怖さを描く作品もあります。ただし、今作品はホラー映画ではない。となるとゾンビもいる日常で如何に人が人らしく生きているのかと描写する作品であった思います。こうした作品はロメロの作品そのものというよりも、ロメロに色々な影響を受けてそのジャンルを壊そうとした様々な監督の影響があると思いますがロメロ作品以外に意識したものはありますか?

ジャームッシュ:特にゾンビ映画の大ファンといったわけではないんです。もちろん多く観てますよ。ロメロ映画はもちろん、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ゾンビ」「ゾンビランド」「新感染」「ワールドウォーZ」「28日後・・・」、そしてロメロ以前の「恐怖城」「ブードゥリオ」などそういった作品は意識はしていますが、ゾンビ映画が大好きというわけではないんです。今回はホラー映画の公式というものをどういうふうに避けるのか・・・そういうところもテーマとしてあったのです。

荻上:(ホラー映画の公式を)避けるためには、それだけたくさん観ているものを意図的に逃れるということを頭で組み立てた点というものはあるのでしょうか?

ジャームッシュ:そうですね、かなり計画は必要でした。僕はこれほどまでに特殊効果が多い作品を撮るのは初めてなので、結構複雑な作業で・・・そういう部分でも凄くプランニングが必要でした。やはりどういうふうに(ホラー映画の)公式を避けて特殊効果を使うのか、血ではなくて粉のようなものを代わりに使うとか、そういったことも考えて作りました。

荻上:そういった細部まで練りこまれたゾンビというものに色々なメタファーの機能というものが不可避的に盛り込まれるという話を先ほどされていました。今作品でゾンビたちに与えられたメタファーというものは改めてどういったものでしょうか?

ジャームッシュ:壊れたOS、終わりのない消費主義、企業の強欲さ、収益のために地球を壊していくという考え方、ゾンビ映画の中で示唆するものは正にそういったものだと考えています。それらを反映しているというわけです。意図的に終わりなき消費主義、企業の強欲さを示しているところがあります。人間の持つ思いやりと親切な心を祝福する代わりに、そういったものが横行しているということをあえて示している。そういう映画です。

画像3

荻上:そういったゾンビと戦っていく際には、銃や斧などの武器がしばしば使われるわけですが、今作品では日本刀が登場します。ジム監督の映画では「日本」という記号が部分的に出てくることがありましたが、今回は典型化された日本像というものが出てきます。今作品の中の「日本」はどういった記号になっているのでしょうか?

ジャームッシュ:僕にとっては日本の映画や文化は、もともと強いガイド役をはたしてくれているのです。特に昔の日本映画が持っていたゆっくりとしたリズムが好きなのです。小津、今村、それと同時に最近の日本映画も好きですよ。日本の文化が好きなので、今作品では日本の文化のディテールを大切にするという部分を取り入れています。

荻上:タランティーノ監督の「キル・ビル」でも日本刀が出てきますけれども、ゾンビ映画でいえばドラマですけれども「ウォーキングデッド」でも刀が出てきます。日本人としてしばしば不思議なのがハリウッド映画の刀描写です。とてもよく切れる!このよく切れる刀に対してどんなシンボリックなイメージをお持ちなのでしょうか?

ジャームッシュ:侍映画の歴史を見ても、日本の何か魔法の力じゃないけれどとてもパワフルな存在として刀が描かれています。今回の作品はハイパーリアルなところがあるので、何かこう魔法の力さえ持つかのようなそんなものになっています。日本の文化では鍛錬というものが必要とされていて、アメリカの文化では自分を律するところがそこまで大切にされていない。僕自身は日本刀を使うために自分を律する、鍛錬というものがとても素晴らしいと思っているので今作品で取り入れています。「七人の侍」「十三人の刺客」日本の刀というのは正確無比のようなそしてその人の鍛錬、そういったものを凄く表現している存在だと思います。

荻上:その刀を持っている人というのがこのゾンビが襲ってくるときの為に訓練していたかのような必然性というものをゾンビ映画で示していくわけです。それは言うなれば消費社会であるとか、全体主義であるとか映画が立ち向かうものと常に鍛錬していくものに必ず場面が出てくるように示唆しているようにも思えるわけです。そのキャラクターに与えられた役割はいかがでしょうか?

ジャームッシュ:僕は準備できてないと思うんですよね。今回はケイレブランドリージョーンズのガソリンスタンドに詳しいゾンビおたく、ティルダスウィントンのキャラクターは日本刀の準備をしている。この二人以外はもう何が起こったかわからないし、心の準備はできていないんじゃないかと思います。

荻上:その対比ですよね。準備できているキャラクターと準備できていないキャラクターがどんな運命を辿るのか・・・。ゾンビ好きな自分としては、知識だけでは太刀打ちできないんだという悲しさを感じました。

ジャームッシュ:ですよね。でも、ゾンビは想像上のものだからそれを忘れてはいけません。

荻上:お時間となりました。ありがとうございました。

ジャームッシュ:こちらこそありがとう。

日々観た映画の感想を綴っております。お勧めの作品のみ紹介していこうと思っております。