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招かれたのは 私か彼か

目が覚めた。辺りはまだ暗い。
部屋は異常なほどにシンとしており耳鳴りすら起こらない。
薄暗い朝方は普段であれば多少なりとも肌寒いものだが今日は違う。なんの温度も感じない。
布団からはみ出た手足も布団の中にある身体も等しく無機物のように冷ややかな温もりを宿したまま一切の変温を示さない。

"今この空間に私を含め生きている物質はいない"

そう直感した。
私は布団から身体を起こそうとした。しかし私の身体は思うように動かないうえに酷く頭も重たい。どうにかばたばたと手足を動かしながら糸吊り人形のような身のこなしで起き上がる。
おまけに視界が身体の動きと合わず大幅なズレが生まれており、身体は起きているのに視界はまだ布団の中だ。
一人虚無の部屋で四苦八苦しながらどうにか部屋の電気の目の前に辿り着きスイッチを押す。
反応はない。もう一度押す。……やはり反応はない。
訝しんだ私は諦めて隣の廊下の電気をつける事にした。
廊下と寝室を繋ぐ扉のドアノブに手をかけてがちゃりと開く。視界に飛び込んだ廊下を見て私は息を飲んだ。
────長い。
その廊下は普段見知った短い廊下では無かった。狭く、長く、どもまでもどもまでも無限に続いており少し先は真の暗闇に包まれている。
私の家はワンルームだ。こんな光景はあり得ない。
そこでふと、どこまでも続く回廊は私の事を待っていたかのように感じた。理由はないが、なんとなくそんな気がした。
それも想い人を待つような、前向きな感情は感じ取れず、ただひたすらに何か陰鬱とした積年の復讐を晴らすような強い憎悪をその廊下は私に向けている。
泥のように重たい空気の中私を貫くような視線が、私の全てを喰らい尽くす瞬間をじっと待っている。そんな予感がした。

"行ってはならない"

私は私にそう告げた。
しかしその時の私は止まらなかった。廊下に足を踏み入れ明かりを灯すスイッチを探す。
そろそろ暗闇に目が慣れてくるはずだが、一向に廊下の奥が見えない。
…………おかしい、明らかに暗すぎる。
部屋の窓から差し込む僅かな光量もこの廊下にはまるで届く気配がない。
床の軋む音、服の擦れる音、呼吸、動悸……
全ての音も吸い込まれて聞こえない。
この廊下は生きている。そして音すらも喰らう怪物だ。
いや、生き物とは言い難い、しかし確かに生きている。感じる。気配を。"何か"の気配を






目が覚めると布団の中にいた。
数秒固まった私は至極当然の結論に至る。やはり夢かだったか。私は安堵のため息を吐き出す。
しかしそこで私のため息は凍りつく。
なんの温度も感じない。
どうやら振り出しに戻ってしまったみたいだ。辺りは暗く部屋も気味が悪いほど無音なままだ。
いや…一つだけ先ほどとは違う点がある。それも最悪な方向でだ。


──────"何か"がいる。
景色はいつもの部屋そのもので私以外誰一人居ないのだが確実に気配を感じる。
その気配は間違い無く先ほど廊下で体験したあの底なしの憎悪の集合体であった。
それは私の周りを舐めるように回っている。
まるで私を品定めするかのように、じっくりと。
私は蛇に睨まれた蛙のようにその場で動く事が出来ずただ目をつむり祈る事しか出来なかった。
そこにいる何かよ、どうか私を許してくれ。
君に恨まれるような事はしていない、私は君の事を知らない!君の謂れなき憎悪を私は受け止める事が出来ない。どうか許してくれ。どうか…………



気がつくと私の身体にじわじわと体温が宿り始めていた。遠くから鳥のさえずり、車の音、窓から差し込む陽光………
布団から起き上がる。視界は正常で身体も重くない。
辺りに"何か"の気配はない。
どうやら悪夢から覚める事が出来たようだ。いや…さっきまでの世界は果たして唯の悪夢だったのか?


あの"何か"は一体なんだったたのだろうか…
とても夢では片付けられない程の、生々しい形を帯びた存在だった。
こことは別のどこかの世界に、何かしらの手違いで私は行ってしまっていたのではないか?
いや……もしかしたら、来てたのか。奴がこちらに。
招かれたのは私ではなく、彼の方だったのではないのか?今となってはもう確かめようがない。願わくば確かめる術は二度と来ないで欲しいものだ。

今こうして文字として記録している今も、私はあの時感じた気配を鮮明に覚えている。
廊下に続く扉を開ける。
今日も何もいない。


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