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非存在証明

最近携帯の調子が非常に悪い。定期的に画面がフリーズしたりする。そして先日とうとう操作途中に強制シャットダウンした。
おいおいまだ一年しか共にしていないのにもうお別れを告げるのは嫌だぞ。そう思っていたがすぐに電源はオンになりなに食わぬ顔で平常運転を始めた。
しかし一つだけ違和感があった。いつも開く様々なアプリが並ぶホーム画面に、さっきまで無かった穴がある。
まさか……さっきのシャットダウンでアプリが一つ消えた?しかも結構よく使う場所のが消えてる。Twitterの右上のアプリが…!
しかしどうだろう。私はその消えたアプリがなんだったかを、いつまで経っても思い出す事が出来ない。何故だ?全く使っていないアプリだったとしても曲りなりにも毎日何十回も見る風景の一つだった筈だ。なのに全く記憶に残っていない。確かにそこにいたアプリはアンインストールされたこの瞬間に完全に私の世界から抹消された。恐らく二度と思い出す事はないだろう。
そう考えると存在しているだけで生きた証は作れないと再認識させられる。存在していて第三者からその存在を認知されて初めて存在の証明になると言える。どれだけ長い時間画面に写っていようが誰にも記憶されて無かったらそれは写っていないのと同じだ。逆に少ししか写っていなかったとしても大勢に記憶されていればそれは大きな存在証明と言えよう。若手芸人がひな壇で必要以上に大きな声を出したり一々噛み付いたりするのもこういった"人々の記憶に残る"いわば爪痕を残すためにやっている。どんな形であれ人に覚えて貰わないと意味がない。まぁ私はそういった人よりも全く発言しない空気のような人の方が記憶に残っているが。
学校生活でも同じだ。一年同じコロニーで生活の一部を共にしたクラスメイトだろうと影の薄い人は何度か話していたとしても数年経てば一切覚えてなくなる。私もきっと学生時代のクラスメイトの殆どに存在を忘れられているだろう。まぁ黒歴史だらけだから忘れられた方がありがたいが。
ともかく生きた証を作るにはただひと目に着く場所にいるだけではいけない。勿論ひっそりと息を潜めて自身の殻に籠もる貝になるのもいけない。ひと目につく場所でいかにして自分の存在を覚えて貰えるかにかかっている。それも長く根強く。
私は「ハリーポッター」の映画シリーズでのマルフォイを思い出す。彼は全ての作品通して出演時間25〜6分程度にも関わらずとんでもない人の脳に刻まれたキャラクターになっている。私も彼のように、マルフォイのような人間になりたい。

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