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人生の光とは

私は、人生の大切な時間をかけて、研究・チャレンジしていることがある。

人生はあっという間に過ぎていくもの

1日は24時間。1年は365日。そう決まっているのに、なぜか季節は高速で移り変わり、1ヶ月は目まぐるしく過ぎていく。この感覚のまま人生を過ごしていたら、本当に一生は激短でサラッと終わりを迎えてしまうと思うと勿体無い!と感じてしまうのは私だけだろうか。


あなたは人生の最期の瞬間、どんな言葉で迎えますか?


私は以前、介護福祉士として特別養護老人ホームで務めていたことがある。そのホームでは認知症の方や、寝たきりの方へのケアをさせて頂いた。介護職のケアは分業していることはほとんどなく、全てオールインワンのケアが多い。

そんな1日の業務の流れの中で、利用者様と時間を見つけては笑顔で交流し、言葉をかけて、目で会話する毎日。何か私はその時間に何ものにも変えがたい特別な時間があったと実感している。

特別養護老人ホームは「終のすみか」の場所。最期時を目の当たりにすることもあった。

いつもの部屋、いつもの風景。いつものあの利用者様がいない。
その悲しみは職員みんな同じ痛み。しかし一様にこういう「よく頑張ったね」

なぜか最期の時、少し微笑んで旅立てれる


その表情の意味が、分からなかった。それでも気になっていたが、今になってやっと「一生懸命生きたこと」に対して感謝の気持ちが溢れてたのだろうと考えに至る。

少し話はそれるが、私にも「死にたい」と思ったことが1度だけあった。そんな辛い状況にも関わらず、本当に最期を迎えようと計画をすると。なぜか涙が溢れ出し「生への感謝」が止めどなく出てきた。

人は必ず死を迎える。介護の現場では、死と隣あわせの方が多い。そんな利用者様からの言葉は重みがあり響くものばかり。何も助けて差し上げられない自分は最弱だと落ち込むこともあった。

最期な、笑顔で逝きたいやろ


そんな言葉をかけてくれた人がいた。「だから、今やりたいことをやりなさい。」「いつもでも歩けると思っていたらどこも行けへんで」きっとこの言葉には悲しい想いを乗り越えてきた経験を応援の気持ちで、私たちに伝えてくださったのだ。

受け取るばかりだ

仕事としてサービスは提供しているけれど、受け取るばかりで何もしていないと感じていたのだが、実は真相は全く違った。

誰かの役に立ちたい

体は辛い、足や腰も痛い。だけど、それでも誰かの役に立ちたい!だから色んなことを教えて下さるのだと知った時、感謝と涙で愛で胸がいっぱいになった。

そして私もその愛を受けて、とうとう最期のゴール地点を決めた。


あぁ〜楽しかった!!

そう言って最期の時を迎える。そのための人生設計をし、計画を決め、コツコツと行動を積み重ねていく。人生最期の「楽しみ」が決まっているとなぜか色んな視点が見えてきた。


わたしは、笑顔で生きる

笑顔に人生をより良く生きるための秘密があると感じている。笑顔は簡単にできるけれど、私が望む「笑顔」は底なしで純粋100%の「愛の笑顔」。どんな環境でも笑顔を選択し、豊かさと共に生きる覚悟を持った人だけがたどり着けるステージがあるのだ。

暗闇のなかでみつける愛

暗闇の時に感じた気持ちが、真の笑顔への扉であることはたくさんある。逃げなければいけない現実と、超えた方がいい現実の境目を多くの人は判別できない。しかし、人は経験したい生き物だ。経験することは必要だろう。それでもそんな現実に飽きて、卒業したい!と強く望む時には、私が提供している「未来を安心して生きるセッション」を是非活用して頂きたい。悩みを1人で抱えることほど、愚かなことはないのだ。言葉にして話すだけでも、不思議なことに一筋の光があなたの目に写り、世界が広がる経験をするのだから。

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