空っぽ人間の日記2 ~他人の推しと心の壁~

noteに登録してからしばらく経ったが、自分が思っていたより読んでいただけているようで嬉しい。ありがとうございます。
その割に、あまり明るくない文章を今日も書いていこうと思う。極端に暗い話でもないからお手柔らかにお願いしたい。

前回、嫌いなものが増えたなぁというぼんやりとした日記を書いた。「目指せ!心の広い女性!」という新たな目標を抱えて生活を始めたが、結果は笑っちゃうぐらい出ていない。それどころか、自分の中の新たな心せませまポイントを見つけた。
どうも最近「人の好きなものの話を聞くのがしんどい」と思うことが増えてきた。いや、しんどいというよりは人の話に興味がなくなってしまっている。

最初の日記にも書いているが、私はオタクだ。周りにもオタクの友人が非常に多い。
オタクというのは、自分の好きなものや所謂「推し」の話をするのが好きな人種だと思う。今までオタク友達から推しの話を聞く機会はたくさんあったし、私自身よく推しについて語っていた。
私はどちらかというと「人の推しの話」を聞くのは好きな方だったし、影響されやすいのですぐに友人と同じジャンルにハマることも多かった。今でいう沼にハマりやすいタイプの人間である。

それなのにだ。最近友人の推しの話を聞いていると「おや?私この話に微塵も興味持てないな?」と感じてしまう時がある。

特に私の場合は、相手の熱量があればある程、ちょっと引いてしまう傾向にあるようだ。熱量がある人って、こちらの隙を狙って推しの話をねじ込んでくるタイミングが絶妙だと思う。いや、相手からしたら狙っている気もないと思うけれど。こちらの何気ない発言を拾われて「それ、うちの推しの○○がね!!」と、相手の推しの話に結び付けられた途端、大変申し訳ないが興味皆無になってしまう。その場で動画の再生とかされても、めちゃくちゃ目が滑る。

でもこれって相手が悪いとか微塵もなくて、オタクってそういうものだよなぁと思っている。きっと私も同じことやってるし、同じような思いさせてきただろうな。言語化しないと発散できない気持ちがあることも分かっているし、本気で良いと思うから人に話したくなる気持ちもよく分かるから、「推しの話興味皆無事件」は私が自分と向き合うべき事件なのだ。

そもそも昔は興味持つどころか楽しんで聞けていたのだから、長々書いたところで「結論、向き合うべきは自分自身の心!」でオチがつくのも勘付いていたが、私も言語化しないと発散できない人間なので文字にさせて頂いた。

年を重ねるごとに心が狭くなるのって、単純に心が疲弊する頻度が増えているからなのだろうか。多分人の推しの話がしんどくなるのって、そこにキャパを割けるだけの余裕がなくなっているか、自分は好きなものがない状態なのに、人の「楽しい!好き!」の感情を浴び続けるのが嫌になっているかのどちらかなんだろう。どっちにしろ私の心が狭いな?

人の「好き」という気持ちを素直に受け止めていた学生時代。楽しいことの方が多かった気がする。あの時みたいにちょっとずつ、まずは相手の熱量に興味を持てるよう頑張ってみようかな。

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