【短め短編小説】A Brush(ア・ブラッシュ)一触れ☆Episode 3 徹君の場合 (2790字)
【これまでのお話】
A Brush(ア・ブラッシュ)一触れ☆Episode 1 私の場合
A Brush(ア・ブラッシュ)一触れ☆Episode 2 泉先生の場合
こんにちは。竜崎蓮の12年来の友人、藤澤蘭子です。今日も蓮の話をしたいと思いますが、特異体質を持つ蓮のことを分かっていただくためにデータシートを作成しました。初めて蓮の話を聞かれる方はぜひ目を通してください。蓮のことをすでにご存じの方は「徹君の場合」にお進みください。
竜崎蓮データシート
徹君の場合
「蓮君、家に帰らなくていいの? もう7時だよ」
笠原徹は、月明かりの下、ぼんやり浮かび上がる廃線の線路跡を歩きながら言った。徹の背中の黒いランドセルには、ナイフで切ったようないくつもの白い傷が揺れていた。
「うん、大丈夫だよ。僕、徹君が行くところ、どこでも一緒に行くよ」
蓮は、徹の背中に言った。
「でも、蓮君、僕はもう家には帰らないよ。帰りたくない」
徹の声が涙で詰まった。
「うん、じゃあ、僕も帰らない。徹君と一緒にいる」
夏の余韻が残る空気を虫の声が揺らす中、2人は黙ったまま線路跡に沿って歩き続けた。
その日、4年3組の教室では、2時間目の国語の時間に3回目の「儀式」が行われた。儀式は、「汚れた血を持つ」徹を清めるために、学級委員の馬渕礼子が中心になって行われた。
担任の渡瀬亜衣は、教室の前の端から怯えた目で教え子たちを見ていた。
机は教壇を囲むように二重のコの字に並べられ、教壇には馬渕礼子が立っていた。そして、コの字に並べられた机の中央には、徹が俯いたまま椅子に座っていた。
礼子が声高に言った。
「笠原徹は汚れています。笠原徹の父親は、渡瀬亜衣先生の愛人です。愛人を持つ人は汚れています。息子の徹も汚れています。だから、私たちは笠原徹を清めなければいけません。誰か質問や意見はありますか」
誰も何も言わなかった。
礼子が再び口を開いた。
「じゃあ、始めましょう!」
それを合図に座っていた何人かが立ち上がった。徹の側に用意されていたバケツを持ち上げると、次から次へと徹に水を浴びせかけた。バケツは全部で5つあった。
徹は全身びしょ濡れになった。何も言わず、歯を食いしばり涙を堪えた。
礼子が言ったことは本当だったからだ。徹の父親は、渡瀬先生とつき合っていた。それが原因で徹の両親は口論が絶えなかった。
家には、もう徹の居場所はなかった。これまでの2回の「儀式」のことも、父親にも母親にも言えなかった。
そして、渡瀬先生は教室の隅で怯えているだけで、徹を助けてくれようとはしなかった。
礼子が、手出ししたら徹の父との関係を学校にバラすと脅したからだ。渡瀬先生は、徹より自分を守ることを選んだ。
びしょ濡れの徹を前に、礼子は言った。
「次の段階に行きます。笠原徹の汚れた持ち物を切り刻みましょう」
先ほどとは異なる何人かの生徒が立ち上がった。そして、徹の机、ロッカー、ランドセルの中から教科書、絵の具箱、体操服などを取り出し、コの字に並べられた机の上に置いていった。座っている生徒たちは、カッターナイフを取り出し、持ち物に切りつけた。
持ち物がずたずたに切られると、ランドセルが教壇の上に置かれた。礼子は自分のカッターで、ランドセルに一文字の傷をつけた。
すると、生徒たちが立ち上がり、順番に教壇の上のランドセルにカッターナイフで傷をつけていった。
「儀式」の間中、徹は俯いたまま、唇を噛んで屈辱に耐えていた。
――どうしてお父さんはお母さんがいるのに渡瀬先生となんかつき合ったんだ。僕がこんなひどい目に遭っても助けてくれない人なのに。お母さんの方がずっといいのに。
ついに耐えられなくなった徹は駆け出した。びしょ濡れのまま廊下に飛び出し、校舎の出入り口に向かって走った。
その時だった。下駄箱の陰にいた蓮とぶつかった。蓮は、瞬時に徹の苦しみを感じ取った。目眩と吐き気で座り込んだ。
「ごめん。大丈夫? どうしたの?」
徹は座り込んだ徹を保健室に連れて行った。
保健室に養護の先生はいなかった。蓮が苦しそうに言った。
「大丈夫。君こそ大丈夫なの? 何かひどい目に遭ったんだろ?」
徹は絶句した。そして徹の目から涙が溢れた。
「僕、4年1組の竜崎蓮。君は?」
「ぼ、僕は……うっ、うっ……4年3組、笠原徹」
下校時間になると、蓮は徹を待ち伏せて一緒に学校を出た。
廃線の線路跡を30分ぐらい歩いた頃だろうか。徹は、父親と渡瀬先生のこと、儀式のことを蓮に打ち明けた。
蓮は、「そっか」と言いながら徹の話を最後まで聞いた。
2人は、そのまま線路跡を歩き続けた。飲み物も食べ物もなかった。疲労と寒さで、2人は歩く気力を失った。
休むために、壊れかけた木造の小さな小屋に入り込んだ。いつの間にか、2人は眠ってしまった。
警官が蓮と徹を見つけた時、2人は折り重なるように眠っていた。警官は、2人が死んでいるのではないかと思いひどく驚いたという。
保護された蓮は、再び柳楽大学病院に入院した。
1週間後、学校に行くと、徹が話し掛けてきた。
「蓮君、ごめんね。僕のせいで入院しちゃったんだよね。本当にごめん。でも、ありがとう。蓮君がいなかったら、僕、独りですごく怖かったと思う」
蓮は、徹の明るい顔を見てとても嬉しくなった。1週間前に徹とぶつかった時に感じた胸の苦しさもすっかりなくなっていた。
「うん、大丈夫だよ、もう。徹君も元気でよかった」
「蓮君、蓮君にはちゃんと言っとくね。お父さん、渡瀬先生とつき合ってなかった」
「えっ、どういうこと?」
蓮は目を丸くした。
「渡瀬先生が嘘ついてたんだ」
「えっ、渡瀬先生が? なんで?」
蓮は驚いて大きな声を上げた。
「渡瀬先生、お父さんのことが好きだったんだって。でもお父さんは渡瀬先生のことが好きじゃなかったから、僕に意地悪したかったんだって。教頭先生が教えてくれた。お母さんに嘘の手紙も書いたんだよ。お父さんが先生のこと、好きだって」
「そんな、ひどい!」
蓮はひどく腹が立った。
「うん、だから、渡瀬先生は『ちょうかいめんしょく』になったって。それに儀式のことではみんな注意されたよ。馬渕さん、お父さんとお母さんと一緒にうちに謝りに来た」
「そっか〜、徹君、よかったね」
「うん、蓮君、ありがとう」
蓮は、徹と友達になれるかも知れないと嬉しくなった。
でも徹は二度と蓮に話し掛けてくることはなかった。顔を合わせても、まるで蓮のことは知らないような素振りだった。蓮はとても寂しかった。
次の日曜日、蓮は1人で廃線の線路跡に行ってみた。秋の陽が眩しいほど輝いていたのに、蓮は徹君と一緒だったあの日よりずっと寒いと感じた。
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