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流される石に苔は付かないが、石は自分が流れて行く先を知らない

2023年も残すところ、あと数時間だ。
前に書いた通り、2023年はボクにとって最高に充実した年になったと思う。

ボクは子供の頃から「〇〇になりたい!」と思って努力してきたタイプではない。ここまで割と流されてきた人生だと思っているが、なんとなく良い感じのポジションを確立していて、今のところ幸せに暮らしている。

人間万事塞翁が馬

(ラッキーなことに)6年前にボクが立ち上げメンバーとして参加した某プロジェクトは、その後に日本人の誰もがよく知るイノベーションを起こしており、現在多くの人がその恩恵を受けているはずだ。それが今の自分の(胸を張って言うことができる)経歴のひとつになっているので、流されてきた人生であるが、ある程度のチャンスは掴んできたと言えるかもしれない。
もちろん、ボクもこれまでに何度か窮地に追い込まれた経験を持っている。しかし、振り返ってみると「あれがラッキーになった転機だったかも?」と思えることは、だいたい窮地に追い込まれた後に起きている。

科学者マインド

ボクは仮説を立てて実験していくような物事の進め方をするのが好きなので、マインドは科学者のそれに似ていると思っている。たとえ失敗した場合でも、その失敗も実験結果だと思っているので、上手く行かなかったことの原因を考察して、次の仮説を立てて行くというサイクルを個人的に回しているのだ。なので、窮地に追い込まれた後にラッキーな転機が訪れるというのは、原因の分析と仮説の立て直しが上手く行った結果なんだろうと思っている。
要するに、ボクは自分の人生自体が壮大な実験場であり、且つボク自身が被験者であり、ボク自身が調査員兼記録者であると思って暮らしている。
「それって終わりがないじゃん!」という声が聞こえそうだが、まさにその通りである。これには終わりがないし、どこにたどり着いたら終わりなのかもわからない。

この考え方の良いところ

だけど、この考え方にはいくつか良いところがある。
まず、ボクの人生はボクの実験結果なので、誰かと比較をしなくて済む。また、すぐに結果が出るわけではないし、出た結果がゴールということでもないので、いつまでも人生を楽しむことができる。そして、年齢に応じた実験ができると思っているので、老いていくことが苦でもない。

先日、某会社の社長と飲んだ時に「科考人さんは仙人みたいですねー。欲ってないんですか?」と聞かれたが、確かにあまり物欲もないし、偉くなりたいという欲もない。おそらく来年もこれまでと同じように実験を繰り返し、原因と仮説の検証をしているだろう。

何より願うことは…

とはいえ、来年もやりたいこと(実験)+やらなければならないこと(仕事)がてんこ盛りだ。どこに流されていくかはわからないが、どんなところにたどり着いても新しい景色が見えることには間違いない。

ただし、そのファンクションの中には「自分の家族や仕事や趣味などで関係する人たち(もちろん自分自身も)が健康である」ことが組み込まれているので、ボクはボクに関係する人たちの健康を何よりも願っている。
…願ってはいるが、ボクが(自分以外の人に)何か直接的にできることは無いので、2024年まずは初詣でみんなの健康を祈ろうと思う。

あとがき

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