鬱の自己療法

なにが鬱かって、いくら寝ても、いくら幸せになっても変えられない世界があるから。
世界を変えるんじゃなくて、自分を変えなきゃいけないんだろうけど、自分が変わらなければならない事実を飲み込むのは難しいし、ただただ辛い。
大人になるしかない、そう自分に言い聞かせてもなかなか実行しないわがままな自我がある。
自分の欲望を世界に伝えたところで誰も理解しないし、認めない。
そしてその欲望が実現することはない。
自分はわがままなのか?
確認のためにうつ病の動画を見る。
でも怪しい精神科医はわがままでないと言う。
ならば世界は認めてくれるだろう。でもだめだ。
問題は鬱憤をどこで晴らすかだ。
人に迷惑をかけないのならば自分の趣味に没頭するが良い。
けどそんな清々しく、健康的な話は嫌いになってしまう。
なるべく病的に、劇場型犯罪のような方法で…
こう考えているやつはたくさんいる。
そして実行した腐った奴もたくさんいる。
気持ちはわかるし、てか今の俺だ。
どうしようかね、俺らの処理を。
いいのか悪いのかわからないが、社会は俺たちと一緒に生きていくことを許してくれたんだ。
でも社会はまだ俺たちを受け入れてくれない。
だから犠牲が必要なんだよ。
はぁ、頭が良すぎる欠点ってこれなんだな。ようやく気づいた。
これらの鬱憤を晴らしてくれる奴(犠牲)が必ず社会に必要だ。
俺はどちらかと言うと犠牲側だった。
つまり具体的に言うと、いじめっ子といじめられっ子を同時に経験しているわけだ。
いじめっ子はいじめられっ子を経験していると思うが、まぁここまで頭いい奴はあまりいなかった。
でもいじめられっ子の俺は負の連鎖を断ち切ろうと必死になっている。
ストレスが溜まるとそれが爆発して、さっき言ったような病的な犯罪が起こるわけだ…
頼むよ、犯罪を犯すのは俺じゃなくて別の人で…
そして俺が幸せな世界になるように…
なんだか世界が歪んで見えた。
少なくてもマークチャップマンみたいなやつにはなりたくない。以上

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