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これは運命なのか②

「運命論」という考え方がある。人生は一切が予め決められていて、人の力ではどうすることもできないというものだ。私は最初、運命論に否定的だった。運命論が正しいのなら、人は自分の人生について選択肢は一切なく、また、変えようと努力しようにもしようがないということになってしまう。
 
それに加え、日々やらかしているうっかりミス、魔が差して犯した間違い、闇に葬りたい黒歴史の数々、それらもみーんな生まれる前から決まっていたということにもなってしまう。そんなのはイヤだ。絶対に認めたくない。
 
でも・・・。運命論に必死で抗っていた私だが、もしかして、運命論もあながち間違いではないのかもしれない思い始めている。時間の大原則として、過去には一瞬たりとも戻ることができない。一切が過ぎてしまった今、否定したい不本意なことを含め、一度起きてしまったことは、やり直したり、取り消したりすることは不可能だ。だとすると、そのときそのときで私がとった行動は決定的なこととなり、変えられない運命となる。
 
極めつけは、人間に宿る意識である。それは、魂と呼ぶこともできるだろう。私は、常々、私の意識が何故この体に宿ったのか疑問に思っていた。なぜ、あの家族ではなく、この家族に生まれた子供に宿ったのか。具体的に言えば、なぜこの両親の子供で、兄でも妹でもなく、真ん中の私だったのか? 
 
私は二人姉妹の姉だが、私が生まれる前に、母は男児を妊娠していた。胎児は出産の時期まで順調に育っていたらしいが、不運なことに、分娩直前に逆子であることが判明した。病院では緊急の手術をする準備が整っておらず、母体を助けるために、死産になってしまった。(死産と言えば聞こえはいいが、母によれば、赤ん坊はバラバラに切断されて取り出された)。
 
その翌年に私は生まれた。妹が生まれたのはその2年後だ。もし、兄が無事に生まれていたなら、母が妊娠する時期は違っていたかもしれない。となると、次に生まれたのは私ではなかったかもしれない。

兄に宿っていたかもしれない意識はどうなったのだろうか? 私に宿った意識と何か関係があるのだろうか。それとも全くないのか。石を積んで作られただけの兄の小さな墓を見るたびにそんな思いがよぎる。
 
そもそも意識はどうやって誰に宿るかが決まるのだろう? 何か法則があるのだろうか。意識の元は卵子が基準になるのか、それとも精子なのか? しかし、その探求も壁にぶち当たる。
 
例えば、同じ卵子が別の精子により受精した場合、別の意識が宿るのか、それとも同じ意識なのかという疑問は、絶対に解明することができない。何故なら、検証不可能だから。同じ卵子を2回使うことはできない。同じことが精子についても言える。とすると、人間の運命は受精の時点でもう決まっているんじゃないか?

私の意識がこの身体に宿ったのは、単なる偶然なのか、それとも何らかの必然性があったのか、知る由もない。そうなるべくしてなった、まさに、そうなる「運命」だったとしか言いようがない。
 
 だが問題は、一体誰がその運命を決めるのか、なのだ・・・。


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