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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(12)- アウトプットについて -

アウトプットの訓練について

さて、独学はインプットには問題無いが、アウトプットの実地訓練はどうすれば良いのか?80年代後半の当時は今のように関西に香港人がうようよいる時代ではなかった。ということは自分から現地に乗り込むしかない。

学生の間はバイトしまくって年に少なくとも2、3回は渡港した。アウトプットの実地訓練のためと、将来香港に住むと決めたからには友人を作っておかねばならないと思ったから。

常宿は新填地街の學聯旅社/STB Hostelの大部屋。初香港の時に泊まってみて気に入ったから。年に何度も渡港する為には毎回のコストをできるだけ抑えなくてはならない。ここは hostel なので当然安い。けれど安全。入口のカウンターには24時間体制で必ずスタッフがいて(夜中のシフトはおじいさんだったけど)、入口で男界と女界に分かれるので安心。ここのスタッフと仲良くなり、大部屋で出会ったMちゃんにはもうかれこれ20年以上世話になりっぱなし。

アウトプット訓練に必要なものは「肝っ玉」

実地訓練には単語ノート肝っ玉を持って行った。やはり現地に行くと単語数がドンと増える。アウトプットの訓練に来ているはずが図らずもインプットも増えるという相乗効果。しかし、その相乗効果を得るためには「間違えることを懼れない」肝っ玉が必要。学習中なんだから間違えて当たり前、間違えて笑われたら記憶に残って絶対に忘れないからしめたもの、ぐらいの鷹揚な心持ちが必要。

初香港の時に知り合った友人の家に電話を掛けた時にママが電話に出たので
「〇〇喺度嗎?=〇〇はいますか?」と言いたかったのに、間違えて
「〇〇喺邊度?=〇〇はどこですか?」と言ってしまった。

言ってしまってから「しまった!間違えた!」と思ったが、ママは私が日本人だと分かっていたからか「ハァ!?」と言わずにすんなり電話を替わってくれた。

よくある話にこの香港人の「ハァ!?」に負けて心折れる日本人が多いのだけれど、実はこの「ハァ!?」は悪気も責める気も無くて、日本人からすれば語気が強く聞こえるだけ。腹の底から声を出している「ハァ!?」には肺活量とエネルギーが乗っかっているせいできつく聞こえるだけだと思うな。慣れていない日本人は心折れることがよくある。

この時、「ハァ!?」は無かったけれど「しまった!」と一人電話口で赤面していた私に、電話に出た〇〇が「喺邊度だってーー?」と大笑いしやがった。ママは電話口では「ハァ!?」も笑いもしなかったけれど、〇〇には笑って伝えたんだろうね。こんな言い間違い二度とするもんか!と心に誓った。そして当然ながらこの言い間違いは二度と冒さなかった。

こういった赤面体験とは正反対に誰かに褒められると俄然テンションが上がって、これまた身に付きやすくなる。

成功体験もやる気倍増

友人と一緒に尖沙咀碼頭の目の前の星光行の地下にあった茶餐廳に入った時のこと。見た目も日本人だし日本語で友人と話している私がまだまだ下手くそな広東語で注文をした。おっちゃん伙記が「お前、日本人だろ?俺たちの言葉を喋れるのか!よっしゃ!コーラおまけしてやる!」とコップに入れたコーラをおまけしてくれた。おまだけどちゃんとストロー付いてたよ。

80年代後半の当時、広東語を喋る日本人観光客はほとんどいなかった。下手くそでもカタコトでも広東語で話すとえらく喜ばれた。「你識中文呀⁉=中文ができるのか⁉」「你講我哋啲話呀⁉=俺たちの言葉が話せるのか⁉」と。当時は北京語(普通話)を話す香港一般市民はほとんどいなかった。広東語こそが「中文」であって「我哋啲話」であって香港人の自慢のアイデンティティであった。広東語を話すとテンション上げて歓待してくれた。

友人がホテルの部屋を取るのに同行した時のこと。飛び込みでカウンターに行って部屋を取ろうとした。私達より先に一人の日本人男性バックパッカーがいた。泊まりたいと北京語で言っているがカウンターのスタッフは「部屋は無い」の一点張り。男性はおもむろに日本のパスポートを取り出して「部屋をくれ」と言うが「無い」の一言でけんもほろろ。その隣で私の友人がカタコトの英語で交渉し始めるがやはり「ごめんなさいね、部屋は無いのよ」と言われる。女の子相手だからか言い方は優しかったが結果は同じく「無い」。隣の北京語男子が諦めきれずに粘りつつ、私達をチラ見しながら「俺は北京語喋れるんだぜ」というマウンティング・オーラを浴びせてくる。

そこで私の出番。「我朋友想住呢間酒店,有冇房呢?=私の友達がこのホテルに泊まりたいって言ってるんだけど、部屋ありません?」と広東語で言った途端「你講我哋啲話呀⁉有!有房呀!而家打緊掃、等等呀~=俺たちの言葉が話せるのか⁉あるよ!部屋ある!今掃除中だからちょっと待ってね~」と急旋回。早速チェックインを始めた私達を見たマウンティング男子の唖然とした悔し気な顔が忘れられない。

失敗も成功も大きな学びとなるし、モチベーションに繋がる。どちらにしろ自分にとってはWinになる。独学者は積極的にチャンスを掴みにいってほしいと思う。

香港人が國語をまだ話せなかった頃

ちょっと脱線エピソード。香港に住み始めてからのこと。友人数人と珠海へ遊びに行った。ホテルにチェックインの際、友人が私を呼ぶ。「ソフィ!こいつら國語しか話されへんねん。俺ら國語できへんからチェックインの手続きやってくれー!」なんで香港人が國語できなくて、日本人の私が國語で助けたらなあかんねん、と大笑いしたが、その当時、普通話のできる香港人は絶対的に少なかった。

香港人にとって広東語こそが「中文」で「我哋啲話」

広東語のことを「中文」「我哋啲話」と称するというのは、自分達こそが中華文化の中心だという驕りなのかと当時は思っていたけれど、今になってわかる。香港人のかけがえのないアイデンティティなのだ。広東語は遠い昔には官話だったというプライドもある。広東省界隈で話される単なる方言ではない。世界中の中華街で話されているのも圧倒的に広東語が多い。普通語話者より広東語話者の方が絶対数が多いというデータもある。古代の詩には広東語で読んでこそ韻を踏めるものも少なくない。語彙や細かい文字の使い方の区別でニュアンスを伝える表現も普通話に比べて広東語の方が圧倒的に多くて厚い。広東語は知れば知るほど、学べば学ぶほど面白くなる深い言語。(続)

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