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香港電影鑑賞記:『The Butterfly Murders 蝶變』(1979)

"Kaleidoscope of Hong Kong Martial Arts Films 香港電影武林盛會武影江湖"にて。

オープニングの『Zu: Worriors From the Magic Mountain 新蜀山劍俠』も『The Valiant Ones 忠烈圖』も取れなかったので、これが一本目。チケットこそ取れたけれど、もういっぱいで一列目しか残っていなくて、スクリーンが近すぎて本当に観難かった。立ち見でいいから一番後ろに行きたかった。

影後談講者は米雪、劉國昌(本作副導演)、黃志雄(本作剪接)という豪華メンバー。上映前にスタッフから「西洋人の方も結構お見えですが、post-screening talkは広東語ですので、お分かりになる方は是非ご参加ください」との溫馨提示があった。

米雪姐は当時すでにいろいろな武俠片に出演していたので、ワイヤーで吊られるのは初めてじゃなかった、しかもワイヤー大好きと。武打場面だと当時はフィルムだしCG処理などもなかったので、一つのシーンで十数手覚えて全部やらなくちゃいけない。ワイヤーはワイヤー用スーツを着るのに時間はかかるけれど、吊られてしまえば、一人であっちへピュー、こっちへピューで楽ちんだから大好きだったと。

当時の広告だそう。「この時 Tsui Hark 徐克はまだまだ無名だったので、当時有名だった吳思遠の名前の方が字がデカいんだよねー」と大笑い。

現存しているのは90分のバージョン。当初の公開バージョンは2時間15分だったが、香港の劇場で上映するには90分にしなければならないので、黃志雄師傅の思いも虚しくあれこれあれこれ切られてしまったと。

本来的には江湖をベースにしてはいるが、人間というものを描いた作品だ。人間関係もとても詳細に描かれていたのに、全部ごっそりカットされてしまい、それぞれの関係性の説明が薄くなってしまったと。どおりで「なんでこの人とこの人がこんなことになってるの?」「これはどういうこと?」というのが多かったわけだ。

劉國昌導演は当時副劉國昌導演。アメリカにいる時から徐克と知り合いで、香港に戻ってきた時に人手が欲しいからと誘われて参加した。

副導演が他にも二人いた、自分は小道具から何からいろいろやった。作品中の蝴蝶は全て本物を台南から送り込んだ。台南には蝴蝶谷と呼ばれる蝴蝶が沢山いる場所があって、そこで捕まえて送ってもらった。物凄い数の蝴蝶を買って送ったが、運送中にかなりの数が死んだ。凄い数の蝴蝶が飛んでいるように見せる為、死んだ蝴蝶もスタッフが投げたりブロワーで吹いて使った。蝴蝶標本房は自分が担当で、標本には死んだ蝴蝶を自分が一つ一つ貼り付けた。とのこと。

観客から「今の時代なら、本物の動物や昆虫を使うことは動物愛護の観点から難しいし、エンドロールに「動物に対して虐待をしていません」という文言を入れなくちゃいけなくなりますね。」とのコメントがあった。劉國昌導演が「今の時代は本物じゃなくてCGで描きますよ」と。そりゃそうだ。

当時の興行成績はどうだったのか、との質問に「当時、新浪潮が始まっていたとはいえ、徐克導演は更に一味違っていて、当時の観客はこの前衛さを受け止めることができなかったせいで、初公開当時の興行成績はボロボロだった。ところが海外の映画祭などではかなり好評を博した。香港でも、時が過ぎてリバイバル上映が行われた時には観客が新浪潮というものを理解し慣れた時期だったのでかなりの好成績を上げた、とのこと。

MCの曾肇弘が劇照を持って来ていたので、それもお披露目。ピンの跡が無いので、多分劇場に貼り出されていない新品だと思うとのこと。

最後の最後に私も質問をした。最後に水の上に煙が渦巻くシーンがあるが、あの煙はどうやって作ったのですかと聞いてみた。煙機だろうとは思っていたけれど、何か違う方法でやったのであれば面白いなと思って聞いてみた。「撮影現場には必ず煙機があって、それであの煙を作りましたよ」と予想通りの回答。「でも煙に飛び込んでいく蝴蝶は本物を使いましたよ」とのこと。それにしても、あの煙のシーンはかなり面白かった。

吳宇森導演が、この作品で徐克の実力に驚いた、新浪潮の中でも徐克は特別だった、と言っていたのを目の当たりにして吳宇森導演の言ったことを実感した。

トークの内容で他に思い出したら追加で書く。

米雪姐がずっと「前衛的な作品だった。徐克道演は新浪潮の中でも更に特別な手法を使う人だった」と言っていた通り、実に新しい試みに満ちた作品。★★★★★ 香港電影資料館電影院にて鑑賞。

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