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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(66)- 『コンフィデンスマンJP プリンセス編』その1 -

『コンフィデンスマンJP プリンセス編』

日本映画に初めて参加した。

普段から大陸映画の脚本翻訳を頂いている会社の老闆と話していて
「あれ? Sophie、現場もやるの?」
「やりますよー」
「丁度いいわ!マレーシアに1ヶ月半なんだけど行ける?」
「どこでも行きますよ」
「3日後に飛べる?」

現場通訳をずっと探していたのだけれど見つからずタイムリミットもギリギリだったところに、私も現場をやると知り、渡りに船だったらしい。

3日後って・・・急すぎでしょ・・・と思ったがスケジュールが空いていたので即OK。Freelance の強みはこれね。いつでもどこでも即飛べる!

日本映画もドラマも全く観ない私は「コンフィデンスマンの撮影よ!」と言われたところで「うーん、知りません」としか答えられず。現場仕事が頂けるし、マレーシアに行かせてもらえるし、断る理由は無い。てか素直に嬉しかった。

実は、その頃香港在住だった私。友人周りで丁度マレーシアの Second Home Scheme が盛り上がっている時期だった。リタイア後の長期滞在先として人気が高く、このスキームでマレーシアに滞在しているのはなんと日本人が一番多いのだとか。

香港人からすると、華人が多いのでコミュニティも中華文化もあり、広東語も通じるし、何よりも香港より物価が格段に安い、広い家に安く住める、とうことでマレーシアに移住しようブームが来初めていたところだった。

イチ香港人として私も当然マレーシアを見て感じてみたかったし、ビジネス・チャンスもありそうだったので、マレーシアでの長期滞在は願ったり叶ったりだった。

美術部

この作品での私の配属は動作組ではなく、日本の美術部。美術部の仕事ってどんなものだろう。私は上手くこなせるのだろうか、と思いつつもやるしかない。

先に私が現地入りして準備のお手伝いをする。まずはロケハン隊がやって来た。監督やプロデューサーと共に美術監督もやって来た。お互いにどんな人でどんなバックグラウンドなのかもわからないので、当初はお互い恐る恐るのコミュニケーション。

しかも美術監督が強面なのよ。こんな堅物な感じの人に就くのかよー面倒くさい人だったらどうしようーというのが初対面の印象だった。でも慣れたら実は可愛い性格の人だとわかって、強面とのギャップが面白くあったりもした。

到着して最初の数日はホテルだったが、その後クアラルンプールにアパートを借り上げてもらった。ダメもとでお願いしたらバスタブ付きを探してくれて本当に助かった。私は毎日お風呂に浸かりたい人なのでバスタブ付きがマストなのよ。

ロケハンにて

ロケハン途中、街中の工事でごちゃごちゃした街並みを見た監督とディレクターが「ここ!いいね!この砂ぼこりの中をトニー役の柴田さんが歩いて来る!どう?いいよね!」と大はしゃぎ。「恭兵さんにピッタリですよね!」

えーーーっ!!!

柴田恭兵がキャスティングされてるのかよーーー!!!!

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『俺たちは天使だ!』オンタイムでずっと恭兵さんのファンだったのよー!オープニングでの走りとフェンスを軽々と飛び越えるバネに惚れたのよー!

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そして『想い出づくり。』が超超超スキだったのよー!

きょ、恭兵さんが来る・・・本人に会える・・・ギャー!!!
ということでその日からドキドキして夜眠れなくなった。

しかし、業務はしっかり遂行しなければならない。ロケハンではまだそれほど細かい話は出ない。美術監督は現場を見て、どんなセットにするかどんな装飾にするかを考える。

そしてランカウイ島もロケハンする。高級リゾートホテルなので部屋のインテリアは豪華で素敵なのでそのまま使えばいいんじゃないの?と思う私であるが、やはりストーリーのテイストに合わせる為にはあれもこれもどけて、違う家具を入れたりカーテンを替えたり。

日本側とマレーシア側の美術部を繋ぐ通訳

美術監督が帰国するといよいよ美術部の仕事が始まる。日本人美術監督は各ロケーションでのセットや装飾を考え絵コンテを作成する。

その絵コンテには各セットの完成図が詳細に描かれていて、どこにどんな家具を置くかといった情報が盛り込まれている。
例えば、どちら側の壁には柱の下から2mのところにワイヤーを張る、ワイヤーのみでは撓むのでプラスチック・パイプを通してそれに1.8mのワインレッドのレースのカーテンを下げる、等。

ビジュアルな完成図が美術監督の頭の中に出来ているので、指示がとても細かい。

それを投げられたマレーシア側の美術部が、絵コンテを見ながらこれらの情報一つ一つを事細かに分析し必要な家具や小物の大きさや数量を数え上げていく。
そして要求に合うような物を探しに行く。
自分達の手持ちの物や市販されている物の写真を撮って来てリストにし、日本の美術部に送って見てもらう。

しかしここでいろいろと困難にぶち当たる。

マレーシア美術チームのボスは香港電影からハリウッド映画、日本映画、と海外作品も多く手掛けてきているベテラン。とはいえやはり華人。絵コンテを見ただけでは曖昧で細やかな日本人特有の感覚、しかも細かいところにまでこだわる日本人美術監督の思う所はそう簡単には伝わらない。

ここが通訳者の腕の見せ所。というとなんだか私がデキる通訳者のようだけれど、通訳者からすると実は泣きたくなるような場面。ボスもチームの連中も華人なので広東語でやり取りできるから樂だとはいえ、広東語と日本語が一対一でドンピシャの単語があるとは限らない。いや、無い方が多いかも。

美術監督の思う色、素材、柔らかさ、雰囲気、あれこれをまずは事細かに聞き出して理解することから始まる。日本人は得てして曖昧に感覚的に表現する。美術監督の「思い」は、私の「思い込み」と必ずしも一致しない。私自身が「感じ」だけで理解したつもりになっては齟齬が発生する。

なので通訳する前に美術監督からそれはもう事細かに聴取する。日本とマレーシアをネットミーティングで繋ぎながら準備を進めていた当初、こういった通訳事情を解さない日本側美術部からは「なんだよ、細々うるせえな、さっさと通訳しろよ」みたいな雰囲気が流れてきて非常にストレスがかかったのだけれど、根掘り葉掘り聴取したミーティング後に送られてきた写真で自分達の思うような家具や小物がガンガンあがってきたのを見て「そういうことだったのかー!」と納得してくれた。おかげで私は日本の美術部から絶大なる信頼を頂戴して、その後のコミュニケーションがとてもスムースになった。(続)




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