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離婚を決めた時から、まだ見ぬ相手との再婚を目指して

私が離婚を決めざるをえなかったのは、2017年33歳の時でした。

すでに別居をしていて、少し口をきけば喧嘩しかしなかった夫から、離婚申し立ての書類が裁判所から送られてきたのです。

当時5歳と8歳の子供2人を抱えて仕事をしながら毎日奔走していた私は、ポストに突然届いたその書類を見て愕然とし、途方に暮れました。
まず「なんという、容赦情けのない冷酷な男なんだろう」と当時の元夫のことを思いましたね。

当時、すでに元夫への気持ちはなくなっていました。とにかく、口をきけば喧嘩喧嘩の衝突で、こんなに不仲では子供たちへも悪影響だと思っていたので、離婚は「のぞむところよ」とくらいにしか思いませんでしたが、離婚条件がこんなに悪いとは思っていませんでした。
元夫は、どちらかというと子煩悩な部類の人間でしたから、子供にしわよせがくるような経済的に不利な条件を突き付けてくるとまでは、思っていなかったのです。

結局、調停では話がつかず、審判になりました。
調停というのは調停員という素人に毛が生えたような人たちが、2人の仲を取り持つべく仲裁すべく助言をしてくるのですが、あれで仲裁されるなら、最初から裁判所を介さずに二人で話し合いができるような関係だと思います。

2017年7月に裁判所で話し合いを始めて、決着がついたのは2022年の12月でした。養育費は、子供一人につき月3万5000円。二人で7万円程度です。
港区白金育ちを自慢し、周りに有名人が沢山いることがアイデンティティであり、実の姉とその夫が東大卒のエリートで代官山の億ションに住んでいることを密かに誇りに思っている人間にしては、なんというお粗末な金額かと思います。

が、やはりこの離婚調停・審判を通じて、元夫のことは「人間的に嫌いだな」と確信できたのは収穫でした。自分が頑張って得たものではないことを自慢し、アイデンティティとするしかない、中身のなさ。

私は、この7年間、本当に大変な時間を過ごしました。
朝起きて、幼児を支度させごはんを作り食べさせ幼稚園と小学校に送り、始業時間までに自分は会社へ着き、仕事をして、幼稚園と学童へ迎えに行き、夕飯の支度をし、食べ、片づけ、洗濯をし、お風呂も入れさせ、寝る前に勉強をさせて、寝かす。
常に時間がなく、独りで、何役もこなしたという感じでした。両親頼れる環境ならよかったのですが、あいにく両親に頼れる環境にはありませんでした。

とにかく必死でした。
ただ、離婚の申し立て書類が届いた日から強烈に「絶対に再婚してしあわせになる」という決意だけは、ゆらいだ日がなかった。




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