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2 人目産後に鬼を見た

SOPH 代表の瀬戸です。

わたしは普段、4 歳と1 歳の子供を育てる母で、某外資系企業でフルタイムで働く企業人でもあります。
20 代半ばで今の会社に転職して 10 年以上。外資でこの社歴だと古参になっちゃって、仕事は加速するばかり。

フルタイム ワークと家庭運営で余白なんか一ミリもない!みたいな状態なのに、なぜ SOPH の活動を仲間とはじめようと思ったのか。
今回はそのお話。


子供が欲しかった

夫とは学生時代からの仲で、30 代で籍を入れたときには一緒に住んで猫を飼ってました。
結婚してすぐ犬も飼って、次は子供だねーなんて話してましたが、全然授からない。

まあ、授からない。

最終的には高度不妊治療まで進んだけれど、子供を授かりたいと望んでひとつステップを上げるごとに "そこまでして子供欲しいの?" "夫婦ふたりと犬猫の生活でも十分楽しいんじゃないの?" と自問自答して、
そのたびに "それでも子供が欲しい" "子供を授かったら、大事に大事に育てるんだ" と、"どうか私たちに子供を授けてください" と心から祈った。

特別養子縁組も視野に入れていたけど、紆余曲折あってようやくひとり目を出産したのが 2019 年の春の話。

母の世界はこんな感じか

衝撃だった。
妊娠中、おなかの赤ちゃんを守れるのは自分だけ、とにかく無事に出産することに集中してたから、正直産んだ後のことを想像しきれてなかった。

産後 3 日目のあの自分の底が抜けるような不安も (たぶんマタニティブルー) おっぱいを始めとする全身の激痛も、赤ちゃんの今にも壊れてしまいそうな小ささも、24 時間 365 日対応みたいな昼夜問わずの生活になったことも。

第 1 子の育休中のことは、あんまり覚えていない。
思い出そうとすると、個々の事象はなかなか出てこなくて、明け方に白々と夜が明けていくのを眺めていたこととか、ただあの雰囲気と色がよみがえります。

第 2 子出産

第 1 子を出産後、半年くらいで職場復帰。
育児も仕事も家庭運営も、家事代行とか作り置きとかを色々使いながら、いろんな人に頭を下げながら、何とか日々を回せていた…ように思います。

不妊治療をしていた時に思った "子供を授かったら、大事に大事に育てるんだ" はわたしにとって、この世界との約束みたいなものだったし、第 1 子はとにかく可愛くて可愛くて。

そんなこんなで第 2 子も何度目かの凍結卵移植で妊娠。これまた色々ありましたが、無事出産したのが 2021 年夏のこと。

時は東京オリンピック・パラリンピック開催。
都内の医療体制はひっ迫していて、ワクチンもまだ一般接種は始まっておらず、後期妊婦がコロナに感染したら搬送先がないと言われたあの夏。

"赤ちゃんを守るためにも絶対にコロナに感染できない" と思っていた妊娠 36 週、当時 2 歳の第 1 子がコロナ感染。
体調不良の 2 歳の子を母と隔離するなんて無理な話で、密にも密な状態で過ごしたにも関わらず、なんとわたしは感染せず。夫も無事で、何とか出産にこぎつけました。

予定分娩だったのですが、入院した夜の "ようやくここまで辿り着いた" "そしてここから" という感情はいまでも生々しく覚えています。

鬼さん、こんにちは

秋の気配もほのかに漂う頃、ようやく第 2 子を連れて第 1 子と夫、犬猫の待つ家に帰宅しました。(産院退院後、産後ケアの宿泊施設にしばらく居た)

上の子にとっては、久しぶりのママ。
感動の再会で、本当に嬉しそうにわたしのところに来てくれて、可愛い口調でいろいろと話しかけてくれる。まとわりついてくれる。

でも、わたしはうまく笑えない。
どうした、わたし。この子はあんなに可愛かったのに。

2 歳の子が新生児を潰してしまうんじゃないかと、
いやいや期の大きな泣き声で新生児を起こしてしまうんじゃないかと、

一生懸命お世話しようとしてくれるけど、ミルクで溺れさせちゃうんじゃないか、おむつ替えで股関節脱臼を起こしちゃうんじゃないか、据わってない首にけがさせちゃうんじゃないかと

不安で不安で、言うことを聞いてくれなくて、気が付いたら上の子に怒鳴り散らしてました。何度も何度も鬼の形相で。

鬼さん、こんにちは。
わたしの中にも居たんですね。

どうしたらまた、可愛いと思えるんだろう

上の子を大事にしたい。慈しみたい。
でも、どうやっていたか思い出せない。
怒りたくない。笑っていたい。

そのためにどうしたらいいんだろう?
必死で考えました。

睡眠が足りてないのか?
疲れすぎているのか?
ホルモン バランスか?

そして思いつく限り、使えるものは全部使いました。幸い、わたしの住んでいる世田谷区は産前産後の親のための資源が豊富で。

  • 世田谷区産後ケアセンターで宿泊ケア、デイケア 

  • 産後ドゥーラやベビーシッター

  • 家事代行で掃除や作り置き 

  • 心療内科でカウンセリング&漢方を飲む

これらは確かに助けになった。
特に産後ケアのデイケア Mama's room は安息の地で、いまでもいなみ小児科に行くとつい川崎さんたちに声をかけてしまう。

ただ当時、これらはすでに起こっている問題に対処している色合いが強くて、一時的に楽にはなるけど、根っこのところからわたしの問題をひっくり返すには至らず。

鬼と生きていく

転機になったのは 2 つありました。

  • ねんね専門家に伴走してもらってのねんねトレーニング

  • 10週間のトリプル P 子育てプログラムに参加して、学んで実践

これが、効いた。
ねんねで生活の土台を整えて、トリプル P でこどもとの効果的な関わり方を整えた。

ある日気づいたら、上の子の顔を見てしげしげと "この子こんな顔していたんだった。すごく可愛い" と思っていた。
泣いた。自分も、戻ってきたような感覚でした。

そして、このとき伴走してもらったねんね専門家が SOPH を一緒に立ち上げたあやさんだったりします。

鬼は、わたしの中にいる。これからも、いる。
一緒に生きていかないといけない。
だったら、御するための手段が必要だ。

きっと、あなたの中にもいる。
手段があれば、楽になることもあるだろう。

だから、だれかのために、わたしのために、一緒に歩いてみよう。やってみよう。
そうして SOPH が出来ました。

転機のうちのひとつ、ねんねトレーニングのお話はこちら

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