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サッカーを楽しめていなかった過去

今日は、僕のサッカー人生を振り返りながら、モヤモヤしていたことに対して言語化していきたいなと思います。


僕は、小学校から高校までの12年間ずっとサッカーをしてきました。
地元広島で中学校から強豪のクラブチームに入り、高校では広島県でベスト4に入る程、比較的高いレベルの環境でサッカーをしてきました。

僕にとってサッカーは自分の人生を形成したものであり、今でも大好きです。

ただ、振り返っていみると、すごくモヤモヤしていたなと感じています。

サッカーを楽しめていたか?

僕が、一番モヤモヤしている部分はここです。正直、僕は中高時代、サッカーを楽しめていたかというと、そうではありませんでした。
サッカーをすること自体は好きだけど、小学生の時に公園でサッカーをやっていた時のような「純粋に楽しい」あの感覚がなくなっていたのです。


練習する前は面倒くさいと感じ、練習中は隙を見計らってサボり、そして練習後は監督やコーチの愚痴タイム。今思うと、なぜあんなに人生の時間をかけてやっていたことに、楽しめていなかったのかなと思います。

なぜ楽しめていなかったのか?

ではなぜ楽しめていなかったのか。僕は中高と試合にもスタメンで出させてもらい、活躍できた場面もそこそこありました。
勿論、瞬間で切り分けると、嬉しいシーンはたくさんありました。でも全体的に見た時に楽しめていなかった。

その理由は2つあると感じています。

①チームに所属感を感じなくなったこと
②主体的にサッカーをしていなかったこと

①は中学生になった時に感じました。
小学生の時は、チームの構成メンバーは、地元の小学校が同じで、毎日一緒に遊んでいる友達です。やはり日ごろから仲がいいからこそ、勝ったらみんなで喜ぶ、負けるとみんなで涙する、そんなチームでした。

しかし、中学校に上がると状況が一変しました。勝つことを目的にしたチャンピオンサッカーをモットーに、”上手い選手が試合に出る”そんな環境に変わりました。
チームの中の競争意識はとても高く、僕自身もその環境下でひたすら頑張っていました。
その結果、勝つためのサッカーを学ぶことはできました。ただし競争意識が強まったことで、僕にとってのサッカーのやりがいがいつしか
みんなと喜びや悔しさを分かち合うあの一体感よりも、目の前の相手、仲間の選手に勝つこと、それだけになっていました。


だからこそ、サッカーをする目的が、監督、コーチ、そして選手のみんなに認められることになっている感覚があり、チームの一体感や自分自身の所属感を感じることはありませんでした。


②に関しては主に高校時代に強く思ったことです。
高校時代の監督はとても厳しい方で、人間性を重んじる方でした。
また選手とのコミュニケーションは、監督→選手がほとんどであり、完全なるトップダウン型の組織形態になっていました。

僕たち選手は、日々、監督の指示に従うこと、もっというと監督の機嫌を取ることにほとんどのエネルギーを注いでいました。

プレー中は、常に監督の表情が気になり、監視されているような感覚がありました。だからこそそんな状況下において、自分で考えて、判断するプレーができるでしょうか。当時、高校生の時は、監督の指示を無視してまで自分の好きなプレーをするそんな強い意思はありませんでした。

そういった面で、受動的なサッカー・プレーをし続けていたので、楽しむことなんてできませんでした。

つまり、チームに対する所属意識と主体性。それが感じられなかったことに、サッカーを楽しめていなかったことがあると考えています。

今、思い返すとなんで楽しめていないことに気づけていなかったんだろう、何でもっと状況を変えようと思わなかったんだろう。そんな風に思います。しかし、当時の自分は、目の前の勝利や監督、仲間に認められること。
そこに意識を向けることで精一杯でした。

やはり何事も楽しむことが大切だな~と。もし今やっていることが楽しめてないのなら、その理由はどこにあるのか、しっかり客観的に考える時間を取りたいなと思います。

本日も読んで頂き、ありがとうございました!



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