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考えすぎな私の悩み

今、私は悩んでいる。気が狂いそうなほどに。

一体、私は何を目指して、何がしたくて、何を生きがいに、なんのために生きているのだろうか。

こんなこと言ってしまったら病みすぎだと思われるかもしれないけれど、正直今の私は、消える理由はないし、いなくなるのは怖いから生きている。それだけな気がしてならない。必死に存在意義を探し続けている自分がいて、そんな自分が馬鹿馬鹿しいなんて思ったりもする。


病院の予約、溜め込んだ連絡の返信、メールアプリの整理、部屋の片付け、調べ物…

やりたくないのにやらなきゃいけないことばかりで、やりたいこと、楽しいことなんてない。

英語の勉強をしようか、資格勉強をしようか、そうやって気になっていることは思い浮かぶけれど、その先にいる自分が全く見えない。私は本当にそれがやりたいのか。そうじゃないと思う。

苦しみを抱えながらもやりたいことがあって頑張れる人を見て、自分もそうあるべきだと思いつつ、自分がそうなれる対象がないことがとてつもなく苦しい。正直羨ましく思ってしまうときだってある。私はひどい人間だ。


コロナ禍もあって、徐々に日常に戻りつつある日々。だけど、友人関係は完全に戻ってきたわけじゃないななんて思ってしまう。今はもう学校に通う日も少ないから会う頻度も少ない。あんなに毎日わちゃわちゃしていたのに、最後に連絡を取ったのはいつだろう?なんて友人もいる(連絡する勇気がない自分がいけないというのもある)。

どこか合わないなって思っていた団体も、コロナをいい理由に活動の参加を控えていたらそのまま戻り方がわからなくなった。何度もやめようかと思ったけど、なぜかやめられなくて幽霊部員になっている。

もともとあっちゃこっちゃに遊びに行くタイプではないので、気づけば対面で話す人は家族くらいになってしまった。それと画面越しにコミュニティで数分お話しする程度(でも、これが私の拠り所的な部分でもあるので救われてもいる)。あとは、ときどき買い物にいくときの店員さんくらいか。

まだ部活も学園祭もなかった、小学生の頃の夏休みと同じような孤独を感じている。そして、あのときと同じように逃げるように本を読み、SNSを開き、必死に現実から目を逸らしてしまう。


よく考えすぎと言われる。こうやって悩むのも私の考え過ぎが原因なのかもしれない。でも、これが私のデフォルトでもある。考えすぎのやめ方。誰か教えてください。


私は今、ほっそい糸でかろうじて繋がっていて生きているような気がする。ほっそい糸の正体はわからないけれど。その糸がプツンと音を立てて切れたとき、私はどうなってしまうのだろうか。怖い。





では、素敵な1日になりますように。