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僕が、CM依存症の理由。

「電通に行きたいです。」
「クリエイティブ職に就きたいです。」
「他称クリエイターになりたいです。」
「映像で人の心を動かしたいです。」
「映像って世界共通言語だと思うんです。」
「CMが好きです。」
「CMプランナーになりたいです。」
「電通で働きたいです。」

思慮の浅い僕は、夢の理由を言語化できずに、
感情だけで言葉を発してきた。


「人の“スキ”という気持ちには、
誰のどんな力も干渉できない。してはならない。」

これは間違ってはいない、と今の僕は思う。
ただ、“スキ”だけでは、人は動かない。動かすことはできない。

2019年10月3日木曜日、仕事帰りの19時頃、
僕は夢の言語化(スライム状)に成功した。
まだスライム状なのは、おそらく、
これから色も形も変わっていくものだと思うから。

僕の夢、
それは、
世界平和』である。
本気である。


僕は、この世の中(特に日本)は狂っている、と真剣に考えている。
その理由については今回は記載しない。長くなるから。
もう少し詳しく言うと、
この世界は美しい、ただ、この世の中は狂っている。

この世の中を変えたい。
僕が使う手段は何か。
そう、それが、映像(CM)である。

AquariusのCM『見えない「がんばれ」』篇を
電車の中で観た僕の瞳には泪が溜まっていた。

登場人物が誰かなんて知らない。
BGMの「Funny Bunny」を誰が歌っているかも分からない。
このCMを誰が作っているかも知らない。
このCMが世に出されるまで、どれだけの人が、どれほど苦労したかなど、僕は知らない。

そんな僕が、120秒の映像に心を動かされ、脳を侵され、目に泪を溜めた。
この映像が僕に及ぼした影響は計り知れない。

僕は、この「電車の中の僕」を量産することで、
世界は平和になる、と考える。

人が、対人面で、最も困るコミュニケーションの課題は、何であろうか。

「何を考えているか分からない。」

CMが、なぜ人に愛されるのか?
なぜ僕に愛されているのか?

それは、
「人の想い」を伝える手段として、地球上で最も有効的だからである。

視覚的はもちろん、音楽とのマッチング性で感じさせる聴覚への侵略、
そして、カット割りによってストーリーを脳に理解させる。
それこそが、CMの真髄。

賢い人なら、お分かりであろう。
ここまで並べてきた文字たちが、行き場を無くして、右往左往している。
つまり、話がまとまっていないのである。笑

まとめよう。

僕が、CM依存症な理由、
それは、世界平和のため。
映像は、
「人の想い」を伝える手段として、地球上で最も有効的だから。

夢にグッと近づいた。

Be The Doer ,

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