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「私たちは生きていない」——ドゥルーズによるスピノザ。そしてニーチェへとつながる「生の哲学」の系譜

まさしくスピノザには「生」の哲学がある。文字どおりそれはこの私たちを生から切り離すいっさいのものを、私たちの意識の制約や錯覚と結びついて生に敵対するいっさいの超越的価値を告発しているからである。私たちの生は、善悪、功罪や、罪とその贖いといった概念によって毒されている。生を毒するもの、それは憎しみであり、この憎しみが反転して自己のうえに向けられた罪悪感である。一連の悲しみの受動的感情がかたちづくる恐るべき連鎖のあとを、一歩一歩スピノザはたどってゆく。まず悲しみそれ自体、ついで憎しみ、反撥、嘲り、恐れ、絶望、良心の呵責(morsus conscientiae)、憐れみ、敵意、妬み、卑下、失意、自卑、恥辱、未練、怒り、復讐心、残忍……。その徹底した分析は、希望のうちにさえ、安堵のうちにさえ、それを隷属的感情とするにたる悲しみの種子が含まれていることをえぐりだしてみせる。(中略)スピノザは、悲しみの受動的感情にはよいところもあると考えるひとびとには属していない。彼はニーチェに先立って、生に対するいっさいの歪曲を、生をその名のもとにおとしめるいっさいの価値観念を告発したのだった。私たちは生きていない。生を送ってはいてもそれはかたちだけで、死をまぬがれることばかり考えている。生をあげて私たちは、死を礼賛しているにすぎないのだと。

ジル・ドゥルーズ『スピノザ:実践の哲学』平凡社ライブラリー, 平凡社, 2002. p.49-50.

フランスのポスト構造主義哲学者ジル・ドゥルーズが、スピノザの哲学を解説したのが本書『スピノザ:実践の哲学』(1981年)である。ドゥルーズは、彼自身の哲学を打ち立てるにあたり、スピノザやベルクソン、ニーチェといった哲学者を主に参照していた。例えば「内在」あるいは「内在平面」といった概念が、ガタリとの共著『哲学とは何か』でも大きく取り上げられるが、この「内在」はスピノザ哲学においても重要な位置づけをもつ概念である。

本書の序文ではマラマッドの『修理屋』という小説の一説が挿入されている。いわく「スピノザは自分を自由な人間にしたかったということではないかと思います。できるかぎり自由に——といってもスピノザの哲学でいう〈自由〉です」と。

スピノザはなぜ『神学・政治論』を書いたのか。ドゥルーズはこの著書の中心に据えられたテーマが以下のようなものであるという。それは、なぜ民衆はこんなにも頑迷で理を悟ることができないのか、なぜ彼らは自身の隷属を誇りとするのか、なぜ人びとは隷属こそが自由であるかのように自身の隷属を「もとめて」闘うのか、なぜ自由をたんに勝ち取るだけでなくそれを担うことがこれほど難しいのか、なぜ宗教は愛と喜びをよりどころとしながら、戦争や不寛容、悪意、憎しみ、悲しみ、悔恨の念をあおりたてるのか、ということだった。この本が1670年に匿名で発行されるや、その著者はたちまちスピノザであることが突き止められ、激しい反駁や排斥をかった。この書物以降、「スピノザ主義」や「スピノザ的な」といった表現が、ひとを侮辱する言葉となったのである。

しかし、ドゥルーズはスピノザこそ真の哲学者であったと考えている。彼は死ぬまでたったひとりで哲学を追求し続け、執筆しつづけた。1673年、プファルツ選帝侯から招聘を受けハイデルベルク大学の哲学正教授の職を勧められたときも、それを断っている。スピノザは、既成の価値観念を転倒し、ハンマーをもって哲学をするあの「在野の思想家」の系譜に属していたのであり、「講壇哲学者」に属してはいなかった

ドゥルーズは、スピノザが追求したのは「生」の哲学であったという。どのようなかたちで生きようと、また思惟しようと、つねにスピノザは積極的・肯定的な生のイメージをかかげ、人びとがただ甘んじて生きている見せかけだけの生に反対しつづけたのである。スピノザにとって生は観念ではない。それは一個のありようそのもの、すべての属性において同一の、ひとつの永遠な様態なのである、とドゥルーズはいう。

「生の哲学」を追求したという点で、スピノザの系譜に属するのはニーチェである。ドゥルーズは、意識と力能(コナトゥス)の関係に関して、スピノザが、意識はコナトゥスのより小さな全体からより大きな全体への、またその逆の、そうした推移あるいは推移の感情として現れてくると考えていたと説明する。そしてそれはニーチェが考えていたことに近く、ニーチェはスピノザ主義的であるという。

よい・わるいという善悪判断も、スピノザにおいてはコナトゥスの観点からなされる。つまり、それは組み合わせの問題なのであり、コナトゥスをより完全にさせるもの、コナトゥスが増大する組み合わせは「よい」ものとなり、逆の組み合わせは「わるい」ものとなる。わるい出会いというのは、一種の「消化不良、食あたり、中毒」なのであり、アダムが知恵の実を食べたことがなぜわるいのかといえば、それはアダムのコナトゥスを分解し縮小させてしまう一種の食あたりに過ぎないという。ニーチェは化学、つまり毒物や解毒剤を扱う学問について述べているが、これも同じことを言っている。つまり、アダムと木の実の問題は化学的な問題、自然法則の問題であるのに、その理由がわからないから道徳的な法、つまり従うべき禁止命令として私たちは捉えてしまうのだと。

スピノザはその全著作をつうじて、三種類の人物を告発しているとドゥルーズはいう。それは、悲しみの受動的感情にとらえられた人間、この悲しみの受動的感情を利用し、それを自己の権力基盤として必要としている人間、そして、人間の条件や人間のそうした煩悩としての受動的感情一般を悲しむ人間である。それらはつまり、奴隷(隷属者)、暴君(圧制者)、そして聖職者のことである。そして、私たちのほとんどが実は「奴隷(隷属者)」として生きている。つまりある種の迷信や思い込みにとらわれたまま、不自由なままに生きている人間である。圧制者や聖職者は彼らを利用して生きている。そしてこの両者を結びつけているのは、生に対する憎しみ(嫌悪)、生に対する怨恨の念(ルサンチマン)なのである、とドゥルーズはいう。ここでもニーチェが強調した「ルサンチマン」が出てくる。迷信や教条的な信仰にすがり、ひたすらみじめさや無力感をおのれの情念として生きている怨恨の人、つまりルサンチマンに囚われた人びとである。スピノザが告発しつづけたのは、このルサンチマンに囚われた人びとであったというのである。

その意味で、「私たちは生きていない。生を送ってはいてもそれはかたちだけで、死をまぬがれることばかり考えている」存在であるとドゥルーズはいう。生をあげて私たちは死を礼賛しているにすぎないのだから。スピノザが目指したのはまさに「生を肯定する哲学」であった。それはこの私たちを生から切り離すいっさいのものを、私たちの意識の制約や錯覚と結びついて生に敵対するいっさいの超越的価値を告発しているからである。かくして、生態の倫理=エチカが、道徳=モラルにとって代わる。道徳的思考がつねに超越的な価値にてらして生のありようをとらえるのに対して、エチカの思考はどこまでも内在的に、生それ自体のありように則してとらえていく方法だからである。

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