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境界線の内部に漂う—フォークナーの『アド・アストラ』を読む

そこに時間なんてものはなかった。というよりも、俺たちの方が時間の外側にいた。あの水面の、上ではなく中にいたのだ。俺たちはまだ死んでいないという確信のあった古い時代と、スーバダー曰く俺たちが死んだ後の新しい時代との境界線の内部に。

ウィリアム・フォークナー『アド・アストラ』より(『ポータブル・フォークナー』河出書房新社, 2022, p.479)

ウィリアム・フォークナー(William C. Faulkner, 1897 - 1962)は、アメリカ合衆国の小説家。ヘミングウェイと並び称される20世紀アメリカ文学の巨匠であり、南部アメリカの因習的な世界を「意識の流れ」を初めとする様々な実験的手法で描いた。1949年度ノーベル文学賞受賞。

1946年に編まれた選集『ポータブル・フォークナー』の出版によって、フォークナーは急激に注目され、ほとんどが絶版になっていた著書が次々に復刊、1950年にノーベル文学賞の栄誉へとつながった。

今回読んだのは、その『ポータブル・フォークナー』の2022年に出た新訳本(編集:池沢夏樹, 他)の中から小作品『アド・アストラ』を読んだ。第一次世界大戦に参戦し、フランスに展開するイギリス空軍兵士たちの無軌道な生活を描いた一篇。

「俺たちは何者だったのか、俺にはわからない」という冒頭の一文に象徴されるごとく、そこに描かれる兵士たちの存在は、生と死の間、戦闘と非戦闘の間、あるいは覚醒と酩酊の間で漂っている。それはまるで「水面の中の虫」のようであり、「時に沈み、時に浮かび上がる、大気中でも水中でもないその境界線の内部」にいる。

人類が初めて経験した世界大戦によって、彼らが囚われてしまったのは「俺たちはまだ死んでいないという確信のあった古い時代」と「俺たちが死んだ後の新しい時代」の間の領域であり、水面上に漂うのではなく、水面の中、境界線の中の、息をすることもできず、ただ波の動きに流されて浮かび上がることもできない、そんな領域だった。

ちなみに「アド・アストラ」とは、「星の彼方へ」を意味するラテン語であり、本作品のタイトルは、イギリス空軍のモットーである「Per ardua ad astra」(逆境を乗り越えて栄光の星へ)に由来する。


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