見出し画像

パンデミックのゆくえ 〜「小さなコミュニティ」への回帰

2020年はパンデミック・イヤーとして歴史に残る一年となった。

もちろん世界的にこの流行はまだ収まっておらず、この先もまだ収束までの道筋は不確定さをはらんでいる。

現時点でパンデミックが我々の社会にどのような作用をもたらすのか、予想するには早すぎるのかもしれないが、個人的に感じていることを記したい。

「開疎化」へと向かう社会

日本社会はこのパンデミックを契機として、安宅和人氏のいう「開疎化」へ向かうと思われる。

「開疎化」とは、従来の都市化が効率化を目指して密集・密接な空間を生み出してきたのと反対に、オープン(開)でまばらな(疎)空間デザインや行動様式のことを指す。すでに、リモートワークやオンラインへの移行があらゆる分野で加速しているのは周知のことだが、この動きはパンデミック以前から起きていた。その動きが加速するだろう。

私たちは、すでに仕事をするときに必ずしも一つの空間に集まる必要はなく、ほぼすべての会議がオンラインでも可能であり、むしろオンラインだからこそ効率性が高まることを実感している。パンデミック後にも、多くの会議はオンラインのままになることだろう。

教育も多くがオンラインに移行する。もちろん技術的な限界はまだ多い。ネット回線が不安定なために数百人規模の学生を相手にしたオンライン授業では技術的な不満が残る。しかし、1年前には想像もしなかったような短期間でのオンライン授業・実習への移行が実際に全国規模で起きた。パンデミックという黒船がなければ、教育という保守的な業界で、これほど大きな変革が起こることが難しかっただろう。

ソーシャルディスタンスが全てを変えた

ソーシャルディスタンスはすべての業界に大激震を与えた。特に大きな影響を被ったのは外食産業・飲食店、そして、エンターテイメント業界であろう。居酒屋での飲みニケーションはすでに若い世代からは敬遠されていたが、「オンライン飲み会」がもはや普通のイベントとして行われるようになった。確かに「肩をくんで盃を交わす」的なまじわりはできなくなったが、オンライン飲み会であれば、帰りの電車や飲酒運転を心配する必要はない。家庭不和も避けやすい。メリットの大きさは、デメリットを補ってあまりある。

エンターテイメント業界では、ネットフリックスなど動画配信サービスが飛躍的に伸びた。実際に映画館や劇場に足を運ぶことが、劇的に減った。個人的に映画好きな私は、従来は年に5〜6回は映画館に足を運んでいたが、パンデミック後は2回だけ映画館に行った。いずれも定員200人くらいの座席に私を含めて3〜4人しか客がいなかった。数ヶ月待てば、最新作でも動画配信サービスが家で観られる今となっては、わざわざ映画館に足を運ぶ人はますます少なくなるだろう。

演劇の公演も、今年はオンラインのLIVE配信で2回観た。演劇はやはり画面で観るより実際に生で観たいと思うものの一つである。それでも、現地に行かずとも家にいながらにして、有名な演出家の作品を観られるのは(特に地方在住者にとっては)大きなメリットである。今後も、このハイブリッド型の公演形式(ライブ公演+配信)は継続していくのではないか。

オンラインによって失われるもの

私たちの多くの働き方や生活様式がオンラインへと移行し、実際に密閉空間に密集しなくても良くなった。これは感染リスクを減らすのみならず、不要な移動時間・移動コストを減らし、二酸化炭素排出を含めた不要な環境負荷を減らし、従来は参加しにくかった遠方での機会にも参加を可能にする。またオンライン授業などの教育ではチャットなどの技術面を駆使することで、従来の授業よりも学生の参加を促しやすくする側面もある。

しかし、オンラインによって失われるものも当然ある。コミュニケーションの質は、対面でのコミュニケーションに比べると圧倒的に貧しくなる。例えば、大切な友人や家族と心からのコミュニケーションをとりたいと思うとき、画面ごしのやりとりでは伝えられないものが残る。微妙なニュアンスや空気感が伝わらない。コミュニケーションの非言語的な側面が伝わりづらいため、モヤモヤすることも多い。

哲学者のマルクス・ガブリエルは「デジタル革命の後にはアナログ革命が起きるだろう」と言っている。つまり、私たちの社会がオンライン・デジタル化に大規模に移行した後に、私たちは「実際に側にいること」の重要な意味を改めて思い知ることだろう。人と人が、実際に会うということ、同じ空間にいながらリアルなコミュニケーションをとることの貴重性・重要性が改めて認知されるに違いない。

小さなコミュニティへの回帰

パンデミックに伴うインパクトはグローバリゼーションとも密接に関連したものであった。一種、グローバリゼーションによって緊密につながっている国際社会によって世界的なパンデミックが起きたとも言えるし、世界規模でパンデミックに対する社会的反応(恐怖の伝播から医学的・疫学的知見の活用、ワクチン開発まで)も起きた。これら社会的現象は、グローバリゼーションの一つの表現形とみなすことができるであろう。

しかしながら、個人的には今回のパンデミックを契機に、世界は「小さなコミュニティへの回帰」が促進すると考えている。その根拠として以下のようなことがある。

一つにはパンデミック以前から始まっていた反グローバリズムの動きである。歴史人口学者のエマニュエル・トッドは過度なグローバル化が、社会の分断を生み、世界的に中産階級や貧困層を苦しめていると主張している(彼は「グローバリゼーション疲れ(globalization fatigue)」と呼んでいる)。国際的にも今後、自国中心主義の流れが大きくなり、過度な自由貿易主義には歯止めがかかる可能性が高い。

そしてもう一つの理由として、現在「コミュニケーション革命」が進行していることである。私がここで「コミュニケーション革命」と呼んでいるのは、ガブリエルの「アナログ革命」とほぼ同義である。人同士がリアルに会って話したり、仕事をしたりすることの貴重性・希少性が高まり、実際に私たちが日常生活で会ってコミュニケーションをとるコミュニティはますます小規模になると思われるからである。

おそらく世界的なネットワーキング(人同士のコミュニケーションやデジタルなつながり)は技術的進歩によって加速するが、実際に人同士が集まるという意味でのコミュニティは、身の回りの小さなものになっていくのではないか。オンラインでは広くつながっていても、実際にリアルなコミュニケーションをとり、心を通わせるコミュニティは「こじんまり」としてくるはずである。(パンデミック前にこのことを予感していた私は「こじんまりしたコミュニティ」という記事を書いた。)

いわば「小さなコミュニティへの回帰」であり、ジャン・ジャック・ルソーが18世紀に「人間の内的自然への回帰(自然にかえれ)」を謳ったように、私たちはもう一度、人間にとって、自然で、リアルな、そして現実的なコミュニティを取り戻す時点に差し掛かっていると思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?