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「時間」が溶けこんだ「工藝的なる声」——高木崇雄氏『わかりやすい民藝』を読む

さて、この声ですが、 僕の声か、と問われると答えにくくないですか?当然、声を出している僕のものでもあるけれど、自分の声だけではない声声も含まれて「能の声」はできている。
では、なにが含まれているかといえば、「時間」です。僕が先輩や師との鸚鵡返しから真似、稽古した時間が溶け込んだ声、ということです。さらにいえば、溶け込んでいるのはそれだけではありません。優れた舞台・演者に接し、あんな芸に近づきたいと願い、模倣した時間、理論として知った知識、じかに、あるいは書物を通して聞き得た先人たちの芸談、そういったものすべてが自分の身体に溶け込み、一体化している。
つまり、自分が稽古した時間に先人が積み重ねてきた時間が圧縮されて、すべてが身体化っされた結果に加え、声を出す際の季節、天候、場の空気が導く「調子」という状況を踏まえた瞬間に出てくる声は「私」を離れ、「公」の声となる。「工藝的なるもの」となるのです。だからこそ、「能の声」とは自分の声であって、自分の声ではない。

高木崇雄『わかりやすい民藝』D&DEPARTMENT PROJECT, 2020. p.112-113.

福岡の「工藝風向」店主で日本民藝協会常任理事の高木崇雄氏による民藝の解説書である。1974年、高知生れ、福岡育ち。京都大学経済学部卒業、会社員生活を経て、2004年、福岡市内に工芸店「工藝風向」開店。九州大学大学院芸術工学府にて、柳宗悦と民藝運動を対象に近代工芸史を研究、博士課程単位取得退学。日本民藝協会常任理事。新潮社「青花の会」編集委員。

「民藝」とは何かということについて、柳宗悦の思想を中心に、高木氏の経験にも照らして分かりやすく書かれた本である。しかし民藝の歴史と本質を押さえつつ、本格的な「民藝」論にもなっている。

「民藝」とは「民衆的工藝」のことで、ここには柳たちの「工藝」という言葉に対する深い思い入れが込められている。柳宗悦は「工藝」を単にものづくりの分野としてだけでなく、その背後に潜んでいる「時間」まで含んだものとして捉えていた。その考えが最もあらわれている文章が、1931年の『工藝的なるもの』だという。この本では大変おもしろい例が挙げられている。柳は、バスの車掌の声が「工藝的な声」だというのである。バスや電車の運転手、公共交通機関のアナウンスは今も変わらず独特の調子で語られる。それ以外にも、柳が挙げる「工藝的な声・音」の例は、以下のようなものである。床屋の鋏の調子、線路工夫の掛け声、銀行員のお札の数え方、物売りの声、芝居や落語や相撲の看板の字、能楽、などなど。

つまり、本来は個人的な行為、「私」という領域・生活で行われる行為が、社会という「公」の場、他者と触れる場所で次第に削ぎ落とされ、リズムが煮詰まったもの、煮詰まって一つの特徴ある姿となったものである。「能」について、柳は特に「型・カタ」について記述している。一見、不自由な表現として受け取られがちな、能という舞踊の中心にある「型・カタ」の静けさの中に、実は激しい動きが秘められている、自由な舞の姿がある。この逆説が「工藝的」なのだと述べている。

そして大学生の頃、能の稽古に没頭していた高木氏は、このことを体感をもって理解することとなる。能の声というのは普通に出そうとしてもなかなか出るものではない。大きい声が出たとしても「能の声」にならない。ひたすら先輩の言葉の真似をして、先輩や能楽師がくりかえし稽古をつけてくれるうちに、徐々に「能の声」に近づいていく。いつの間にか、能の声が自分の中に内在化されていく。そして出るようになったその声は、自分の声かというと、自分だけではない他者の声も含まれて「能の声」は出来ているという。

そこに含まれているのは「時間」だと高木氏はいう。先輩や師との鸚鵡返しから真似、稽古した時間が溶け込んだ声である。さらには近づきたいと願い模倣した時間、理論として知った知識、書物を通して聞き得た先人たちの芸談、そうしたものがすべて自分の身体に溶け込んで一体化しているという。つまり、「工藝的なるもの」とは、「私」を離れ「公」の声となっているものでもあり、「時間」が溶け込み身体化されたものでもある。

「私」でありながら「私」を切り離すことなく共有できる「公」。分かちがたく、同時に分かち合えるもの、それを柳宗悦は「如(にょ)」あるいは「即」という言葉で示していた。通常であれば対立すると思われる二つの存在が、実はお互いの存在と結びつき、離れようがない存在なんだ、ということである。能の声というのも、私の声のようで私の声でなく、能の声でありながら、私という存在から切り離すことができないものである。それが「工藝的なる声」であり、「如/即な声」と言い得ると柳は考えたのである。

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