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幸せという感情と時間の関係——ドリアン助川さんの『動物哲学物語』を読む

ところがこの島に来てからは、ホセが毎日話しかけてきます。ティエンポはすこしずつ人間の言葉を理解するようになり、日々変わっていくホセの暮らしが気になりだしました。まさにその興味が、ティエンポに物語を与えたのです。それは同時に、私たち人間が捉えているのと同じ時間感覚がティエンポのなかに誕生したことを意味しました。なぜなら、物語の本質は変化だからです。そして変化とは、過ぎていく時間のなかで起きるものなのです。

ドリアン助川『動物哲学物語:確かなリスの不確かさ』集英社インターナショナル, Kindle 版, 2023. p.240.

ドリアン助川(ドリアン すけがわ、1962 - )さんは、日本の作家、詩人、歌手。明治学院大学国際学部教授。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。早稲田大学時代には劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、1990年、東欧革命取材を契機に「叫ぶ詩人の会」を結成し、同会長となる。芸名であるドリアン助川として「言葉の復権」をテーマに、世の中の森羅万象を激しいロックに乗せて叫ぶ、独自のパフォーマンスで話題になる。

詩人であり、作家であり、哲学者でもあるドリアン助川さん。小説『あん』はフランス、ドイツ、イタリア、英国など22言語に翻訳されており、文学者としての才能も評価されている一方、老荘思想などの東洋哲学や実存哲学に関する書物も著している。そのドリアンさんが書いた宮沢賢治あるいは新美南吉のような大人のための童話集が『動物哲学物語:確かなリスの不確かさ』だ。一つ一つの物語が動物を主人公にしており、物語としても感動を与えつつ、哲学的思想が込められているのも興味深い。

引用したのは、第19話「ゾウガメの時間」。ガラパゴス島に暮らすゾウガメのティエンポは、毎日同じような日々をくり返している。日は昇り、日は沈み、また日は昇り、また沈んでいく。彼にとっては時間と言う感覚がなかった。そのティエンポの暮らしが大きく変わったのは、ホセというある青年の人間との出会いだった。ホセとティエンポは友だちになる。やがて、ホセはナンシーという女性と一緒になり、そして、レオンという可愛い赤子を連れてくる。目をまん丸に見開いた赤ん坊のレオンが、ティエンポのほうによちよち歩いてきて、手を触れる。そのとき、ティエンポは初めて「幸せ」という感情を感じたのであった。

しかし、そこが分岐点だった。幸せを知ることは、本当に幸せなのか。その日以来、ティエンポは不意に湧いてくる感情に怯えるようになった。幸せは物語からもたらされた。それまではティエンポには感情の起伏すらなかったからだ。ホセと出会うことで、ティエンポの中には時間感覚が生まれた。そして「物語」が与えられた。物語の本質は変化である。そして変化とは、過ぎていく時間のなかで起きるものなのだ。この後、ホセとナンシーにはある変化が訪れる。それはティエンポにとって「かなしみ」という別の感情の訪れでもあった。そして、物語と時間は他者に受け継がれていく……。

私たちの存在の意味とは、そして幸せとは何か。幸せという感情をもたらすのは時間であり、物語であり、そして物語の本質は変化である。そうした哲学的思想をバックボーンにして、動物を主人公にした豊かなストーリーが描かれる。人間が考え、悩むようなさまざまな哲学的思索を、動物の立場から考えているのがとても面白い。そして、ここに描かれる20話の物語は、絶滅に瀕している(人間のせいで絶滅しそうになっている)20種の動物たちの物語でもある。読み終えたときには深い感動を覚えるばかりではなく、世界をみる視点が、人間中心から地球上の動物・生物たちを中心としたものへ変容していることも感じるだろう。


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