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アリストテレスのイデア不要論——アリストテレス『形而上学』より

だからして、或る人々〔イデア論者たち〕が個々の事物とは離れて別に実在するものとして説くを慣わしとしているエイドスのような意味で形相を事物の原因とすることは、明らかに、事物の生成にとっても存在にとっても全く無用である。なおまた、すくなくもそれだけのためには、形相がそれ自体で存在する実体たるを要しない。のみならず、或る場合には、たとえば自然的諸事物のごときにおいては、明らかに認められる通り、生むもの〔親〕は生み出されるもの〔子〕と同じようなもの、だが全く同じものではなく、すなわち数において一なるものではなくて、その種〔形相〕において一なるものである、というのは、人間は人間を生むからである​。(中略)
さて、それゆえに、これらの原型としてエイドスを想定するということは(なるほどこれらの事物がとくに最も実体的であるからこれらにこそ最もエイドスが望ましいからでもあろうが)、明らかに全く不必要なことである。かえってただ、生むものがありさえすれば、生産するのにはそれで十分である、すなわち、その質料のうちに形相を原因するものがあればそれだけで十分である。そして、すでにそこに〔この両者の結合された〕全一的なものの存するとき、すなわちこのような形相がこれなる肉や骨のうちに存するとき、これがカリアスでありあるいはソクラテスである。この二人は、それぞれその質料の点では異なっている、というのは質料はそれぞれ異なるからである、しかし、形相においては同じである、というのは形相は不可分だからである。

アリストテレス『形而上学 (上)』出隆訳, 岩波書店, 1959. Kindle 版. p.289-290.

アリストテレスの『形而上学』より再び引用する。(前回の『形而上学』についての記事も参照のこと)。『形而上学』第七巻の第8章である。

アリストテレスは師のプラトンが唱えた「イデア」について、どのように考えていたかが分かる文章である。アリストテレスは、「イデア」といった抽象的な本質の世界が私たちの実在の世界とは別に存在するという考え方を批判している。「イデア不要論」である。

一般にプラトン以前の哲学者たちにおいては、現実の物質的世界が唯一の世界であり、そこでは観念的・形相的なものは、まだ物質的・質料的なものから完全に切り離されてはいなかった。したがって彼らの思想は、今日の用語でいえば、いずれも唯物論的であったといえる。しかしプラトンは、はじめて観念的・形相的なものを物質的・質料的なものから完全に分離して,永遠不動の超越界(イデア界)と生成流転する現象界とを対置した。これを「二世界説」という。こうしてプラトンにおいては、存在と生成との関係は「形相的なもの」ないしイデア界と、「物質的なもの」ないし感覚界との関係として置き換えられ、また前者が真知の対象とされた。感覚界は単に物質的なものではなく、同時に形相的な要素をも含んでいる。したがって,ここにはじめて真の意味での「形而上学」(metaphysica)が哲学の中心問題としてあらわれたといえる。

しかしながら、アリストテレスによれば、イデアは感覚的事物から離れて存在する不動の実体であるから、個物の生成や存在の原因とはなりえない。またプラトンは「分有」とか「臨在」とかいう概念でもって、イデアが感覚的事物の存在の根拠であることを示そうとしているけれども、それは単なる「詩的な比喩」にとどまっているとアリストテレスは批判する。さらに、イデアは感覚的事物の認識に関しても何の役にも立たない。というのも、もし実体(本質・ウーシア)があるなら、それらは感覚的事物に内在しているはずであるからである。要するに、イデアは超越的で永遠不動の実体であるのだから、個物の存在や生成や認識の根拠とはなりえないというのである。ここからさらにアリストテレスは、イデアはじつは感覚的事物をその内容を変えずに永遠化したものにすぎず、したがって感覚界を二重にしたものにすぎないと批判した。

プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考えたのに対し、アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可能で内在的なものであると考えた。形相(エイドス)が、プラトンにおいてはイデア界に存在するもの、超越的な世界に存在するものと捉えていたのに対して、アリストテレスの意味する形相(エイドス)はあくまで感覚的事物の世界にとどまるとする。私たちが感覚的実在として感じるものは、形相と質量の結合物であり、その実体の本質として形相があるとアリストテレスは考えたのである。



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