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会話の哲学——コミュニケーションとマニピュレーションという視点

日常の会話のなかで、私たちは巧みにコミュニケーションをおこない、それによってさまざまなマニピュレーションを成功させようとしています。ただ淡々と事実を語っているように見せかけて自分の有能さを相手に印象づけようとしたり、はっきりとしたコミュニケーションにはならないように注意しながらひっそりと相手の心理を誘導したり、あるいはあえて必要以上にきちんとコミュニケーションをすることで自分は誠実な人柄なのだと相手に思ってもらおうとしたり。(中略)
ただ、基本的な姿勢としては、私はこんなふうに互いに工夫を凝らして会話のなかで試行錯誤する人々の姿を愛おしく思っていて、そうした人々が織りなす会話という営みそのものが、その企みゆえに多様な面を持った魅力的な現象であるとも思っています。

三木那由他『会話を哲学する:コミュニケーションとマニピュレーション』光文社, 2022年. p.40-41.

三木那由他(みき なゆた)氏は、言語やコミュニケーションを専門とする日本の哲学者、トランスジェンダー。1985年生まれの京都大学博士(文学)。ポール・グライスの「意図基盤意味論」の問題点を検証し、その代替として「共同性基盤意味論」を提唱した。著書に『話し手の意味の心理性と公共性』や『グライス 理性の哲学』、『言葉の展望台』などがある。(Wikipediaより)

今回とりあげた『会話を哲学する』では、会話には基本的にコミュニケーションとマニピュレーションの要素があるということを前提に、漫画や小説のさまざまな会話の場面が分析される。例えば、漫画「うる星やつら」の諸星あたるとラムちゃんの会話、綿矢りさの小説「勝手にふるえてろ」、映画「マトリックス」の主人公ネオとある人物との会話などであり、大変分かりやすく面白い。そして、それらの具体的な会話場面が、コミュニケーション理論的にはどのように分析されるのか、哲学者らしい視点で書かれているのも興味深い。

まず、三木氏が本書で意味する「コミュニケーション」とは、約束事の積み重ねで構成されていくものを指すという。これは、会話のなかで文脈が構成され、だんだんとやり取りが蓄積されていくという側面を理解するのに役立つ。学術的には、哲学者マーガレット・ギルバートの「共同的コミットメント」という概念に対応したものである。

そして「マニピュレーション」とは冒頭の引用でも説明されているように、会話を通じて相手の心理や行動に影響を与えようとする行為を指す。例として小説「勝手にふるえてろ」の中で、ある女性(来留美)が主人公(ヨシカ)に向かって「いいと思うけどな、付き合っちゃえば、あの人よく働くし、誠実そうだし、なによりヨシカのことがすごく好きなところがいいじゃない」という場面、ここではヨシカに(あの人と交際するのはよいことだ)と思わせようとしているマニピュレーションが働いていると分析する。マニピュレーションとは「何かを操作する」という意味がもともとあるが、ここでいうマニピュレーションとは、必ずしも悪意をもって相手を意のままに操ろうというものばかりではないという。「マニピュレーション」の考え方は、学術的には哲学者のポール・グライスの「意図基盤意味論」に根ざしており、それを三木氏が発展させた考え方である。

こうして見てみると、私たちの日常会話には約束事の積み重ねとしてのコミュニケーションと、相手に何らかの影響を与えようとするマニピュレーションが混在しているものであることに気づく。マニピュレーションとしての会話は必ずしも操作的・権力的な側面ばかりではなく、うまく相手との会話をきりあげようとしたり、自分が傷つかないように守ろうとするような弱者としての自己防衛戦略のような側面も含まれると思う。著者の三木氏は、そうした人間のさまざまな会話的営みを、哲学者として大所高所から分析するというよりは、同じ人間のレベルで「愛おしく」感じているというところが印象的であった。



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