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「迂回路」をひらく——ポストコロナの経済に必要なこと

つまり「窓口」は、人によって持っているもの、可能なことが異なる、モノや人、情報へのアクセスするための迂回路であり、それは正規のルートとは異なるという意味でグレーだが、たいていはそれぞれの個人の「運」や「縁」あるいは「資本」として社会的に許容されている、少なくとも文脈に応じて許す、許さないが変化する。
こうした迂回路を網の目のように構築していくことは、個人のサバイバル戦術だけでなく、個人が所属する社会のなかで貨幣や財、サービス、情報を回し、シェアしていく仕掛けでもあった。(中略)
もしも新しい「迂回路」が緊急事態の特別措置あるいは融通として開くとしたら、それを「特別措置」に過ぎないとみなさず、それぞれの事情にあわせた便宜としてどこまで無条件を追求できるかを検討し、押し広げてもいいのではないだろうか。私は、それぞれの窮地に応じて開いたり閉じたりする迂回路を数多く用意している経済にこそレジリエンスが備わっていると信じている。

小川さやか. 資本主義経済のなかに迂回路をひらく:タンザニアの人々の危機への対処から.(「思想としての〈新型コロナウイルス禍〉」河出書房新社, 2020. p.108-118)p.117.(太字強調は筆者による)

引用したのは人類学者の小川やさか氏の論考で、コロナ禍が始まった当初の2020年5月に刊行された『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』(河出書房新社)の中に収載されている。小川さやか氏は、文化人類学者、立命館大学大学院教授で、専門はアフリカ地域研究。大学院生だった2001年からタンザニアのムワンザで参与観察を行い、マチンガと呼ばれる行商人の商慣習や商実践を研究している。

小川氏は、タンザニアの路上商人たちが、コレラなどの感染症流行時に、市当局によって路上売りの営業停止が通告された際、どのような対処をしていたのかを記述する。営業停止は「その日暮らし」の彼/彼女らにとっては経済的な危機を意味したにも関わらず、多様な「迂回路」とでも呼ぶべきものを駆使してその危機を乗り越えていた。一つには、彼らは特定の仕事の継続が困難になった際には、その継続を模索するよりも他の仕事へと迅速に切り替える傾向にあった。第二には、彼らは銀行口座に預金がなくても、窮地に頼るべきものを持っていたことである。例えば誰かへの「つけ」や「借り」のかたちで存在している「預金」を、緊急時には返してもらうといったことである。

そのような迂回路のことを彼らは「窓口」とも表現する、と小川氏は言う。「窓口」とは、緊急時に頼れるような「コネ」であったり、形を変えたビジネスであったり、正規ではない「グレー」なルートを通じたモノや人、情報へのアクセスのことなのだ。そしてこうした迂回路というのは、緊急事態の特別措置としては一時的に開かれるものの、国家にとっては「望ましくないもの」としてすぐに閉じられてしまう傾向にある。しかし、小川氏はアフリカの人々のレジリエンスに溢れた生活の営みをヒントにして、私たちに欠けているものは、普段の経済においてもこうした多様な「迂回路」を準備すること、そして、国家はそれを許容するような寛容さを持つことが大事ではないかと主張する。

コロナ禍が始まり4年目に突入した現在、私たちの国はそうした「迂回路」を用意したり、人々の多様な形でのビジネスを許容するような方向に向かっているだろうか。確かに、働き方改革推進の中で副業・兼業を許容する方針が見られたりしているのは歓迎すべきことだが、コロナ禍と同時にインフレが進み、賃金も上がっていない現在、国から副業・兼業だけを進められても、生活の困窮感が増しているというのが国民の実感ではないだろうか。小川氏の論考の中で、タンザニアやアフリカの人々の生活は、私たちが想像している以上に「豊か」であるということが印象に残った。

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