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現代の若者は何に幸せを感じているか——見田宗介『現代社会はどこに向かうか』を読む

「高原期」に入った社会の新しい世代の精神の変化について、ヨーロッパ価値観調査、世界価値観調査に見られる最も明確な大きい変化は、これらの新しい世代の青年の、幸福観の増大ということであった。(中略)
……一番大きい印象は、何かとくべつに新しい「現代的」な幸福のかたちがあるわけではなく、わたしたちがすでに知っているもの、(もしかしたらずっと昔から、文明のはじまるよりも以前からわたしたちが知っていたかもしれない)あの幸福の原層みたいなもの、身近な人たちとの交歓と、自然と身体の交感という、〈単純な至福〉だけだということであるように思う(それ以外の追加もいくつかはあるが)。(中略)
人間の歴史の第Ⅲの局面である高原は、生存の物質的基本条件の確保のための戦いであった第Ⅱ局面において、この戦いに強いられてきた生産主義的、未来主義的な生の〈合理化〉=〈現在の空疎化〉という圧力を解除されることによって、あの〈幸福の原層〉と呼ぶべきものが、この世界の中に存在していることの〈単純な至福〉を感受する力が、素直に解き放たれるということをとおして、無数の小さい幸福たちや大きい幸福たちが一斉に開花して地表の果てまでをおおう高原であると思う。

見田宗介『現代社会はどこに向かうか——高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書, 2018. p.70, p.90-91.(太字強調は筆者による)

見田 宗介(みた むねすけ, 1937 - 2022)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。学位は、社会学修士。専攻は現代社会論、比較社会学、文化社会学。瑞宝中綬章受勲。社会の存立構造論やコミューン主義による著作活動によって広く知られる。筆名に真木悠介がある。著書に『現代社会の理論』、『時間の比較社会学』など。

本書『現代社会はどこに向かうか』は2022年に亡くなった見田宗介さんの遺作とでも呼ぶべきものである。80歳を超えて、豊富な調査資料にもとづく徹底した分析と深い洞察に基づいた文章を著しているのは流石である。曲がり角に立っている現代社会は、そして人間の精神は、今後どのような方向に向かうか。私たちはこの後の時代の見晴らしを、どのように切り開くことができるか。この大きな問いに対して、新たなデータに基づき、斬新な理論構築を行なっている。

見田は今の時代は「高原期」であるという。例えば人口や人間の生産性などがロジスティック曲線に従って、低調な成長期から爆発的な増殖期を迎え、現代は安定平衡期に入っている。例えば、世界人口の(絶対数ではなく)増加年率は1970年代にはピークに達しており、それ以降は下降している。経済のグローバル・システムも有限性の壁にぶつかっており、転換の時代に入っている。これは思想の領域においても同じであり、カール・ヤスパースが「軸の時代」と名付けた時代(古代ギリシャや中国の諸子百家といった思想の転換期)が世界の「無限」の真実に開かれていったのに対して、現代は世界の「有限」について考える思想の時代に入っている。この現代の「高原期」において、今後いかに永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)を見通すことができるか。これが本書のテーマである。

本書においては、現代が「合理化圧力の解除(あるいは減圧)」という時代になっていることや、合理性と非合理性をいったりきたりする「メタ合理性」の時代になっていることが、さまざまな調査資料からの洞察として述べられている。例えば現代社会のキーワードが「シンプル化」「ナチュラル化」「素朴化」「ボーダレス化」「シェア化」「脱商品化」「脱市場経済化」などに集約されていることである。これらは「自由な人間の社会の世代の感覚」であり、現代の人々の基底にある価値観が「価値のある人間」から「価値を決める人間」へ、あるいは「上流社会」から「無流社会」へ(上流・中流・下流ということにこだわりをもたない人間の社会へ)というように変化しているのではないかと考察される。

そして、現代の世界の若者は何に幸福を感じているのかという問いに、見田は〈単純な至福〉あるいは〈幸福の原層〉と呼ぶべきものに回帰していっているのではないかという。それは近代を支配してきたホモ・エコノミクス的な価値観=経済的な富の増大を幸福の尺度と同一視したり、経済的な富によって手に入れることのできる種類の幸福から解き放たれた、もっと原的な、シンプルな幸福観であるという。1980年代と比べて2010年代の幸福度調査では(先進国に限ってのことではあるが)若者の幸福度は着実に上昇している。しかし注目すべきは数ではなくその中身である。一つの特徴は「脱物質主義」であり、また別の特徴として「寛容と他者の尊重」の価値の増大が認められる。また働くことに関しても、「かせぐための仕事」「成功のための仕事」から「社会的な〈生きがい〉としての仕事」に価値観が変容しているのである。

見田が〈単純な至福〉あるいは〈幸福の原層〉という考察をしたのは、世界価値観調査における若者たちの幸福の理由あるいは経験についての自由記述からであった。そこには若者たちの幸福のリアリティが綴られている。例えば「友人と、特に恋人の家での、とても楽しい夕べ、お茶、それに夕食」といったものや、「春が始まる、私は太陽が好きです、ただそこにあるというだけでも私に力をくれます、私は本当の友達、愛を見つけましたし、それ以外のもの、どんな物質的財産も、私にはあまり重要ではありません」といったものである。現代が、歴史の第Ⅱ局面(人口増加期・経済成長期)で強いられてきた生存の物質的基本条件の確保のための戦いからは一種解放されていることが分かる。第Ⅱ局面では、私たちは常に生産主義的・未来主義的な「生の合理化」を強いられてきたことによって、現在が空疎化していた。第Ⅲ局面である現代は、その合理化圧力が解除あるいは減圧していることによって、また「今、ここ」に生きることができる時代、そして〈単純な至福〉を感受することができる時代に入っているのではないか。そして、この高原期の幸福をさらに安定して見通すためには何が必要なのかといったことが、本書では考察されている。



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