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おわるということ

人の人生が終わるときで語られることがある。

あの人は人生の最後でこう言った。

かの人は最後がこうだったから、みじめだったとか。

僕はそれに反対だ。

人は、生きて、生きて、生きて、そして最後を迎える。最後のときどうだったかということより、その人の人生の中で輝いていたときで、その人の思い出を語りたい。その人が何を大事にしていたのか、何を成し遂げようとしていたのか、その志でその人のことを考えたい。

尾崎豊の「僕が僕であるために」を聴きながら、そんなことを考えた。

彼は、最後は覚せい剤のオーバードースで亡くなった。その最後は決して美しいものではなかったかもしれない。でも、そんなこと、彼の評価にとってなんの関係があるというのか。彼の歌は美しい。

ジャニス・ジョップリンも、ジム・モリソンも、ブライアン・ジョーンズも、僕らの中では、あの猛々しい歌声や、美しい旋律や、輝いていた舞台の上での姿で永遠に残っているのだから。

彼らの姿は、僕たちの心の中に永遠に生き続けている。そういう意味では、彼らのLIFEは終わっていない。

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