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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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#スピノザ

「私たちは生きていない」——ドゥルーズによるスピノザ。そしてニーチェへとつながる「生の哲学」の系譜

フランスのポスト構造主義哲学者ジル・ドゥルーズが、スピノザの哲学を解説したのが本書『スピノザ:実践の哲学』(1981年)である。ドゥルーズは、彼自身の哲学を打ち立てるにあたり、スピノザやベルクソン、ニーチェといった哲学者を主に参照していた。例えば「内在」あるいは「内在平面」といった概念が、ガタリとの共著『哲学とは何か』でも大きく取り上げられるが、この「内在」はスピノザ哲学においても重要な位置づけをもつ概念である。 本書の序文ではマラマッドの『修理屋』という小説の一説が挿入さ

デカルトのコギト命題に潜む「隠された前提」——スピノザによる指摘

スピノザの『デカルトの哲学原理』によると、デカルトの「私は考える、故に私は存在する(Cogito, ergo sum)」という「コギト命題」には、隠された前提が存在する。デカルトは、この命題こそは、一切のものがその上に構築されるべき第一の真理とした。しかし、スピノザは、デカルト哲学における根本的な矛盾を指摘する。 その矛盾とは、「私は考える、故に私は存在する」には、よく見てみると、この命題は、ある別の命題を前提にしていることだ。たとえば「考えるためには存在しなければならない

私たちは「意志教」の信者である——國分功一郎氏『はじめてのスピノザ』より

スピノザの哲学については、昨日の記事で『神学・政治論』を中心に紹介した。本書『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』は、スピノザの主著である『エチカ』について、なぜスピノザは人間には自由意志がないと考えたのか、自由とは何か、意志とは何かといった問題を、スピノザの哲学にそって、哲学者の國分功一郎氏が解説している本である。 まず、スピノザの考える「自由」について。ふつう私たちは「自由」というと「束縛がない」という意味で使う。しかし、スピノザは違う。制約がないだけでは自由とは言えな

なぜ「哲学する自由」を踏みにじってはいけないのか——スピノザ『神学・政治論』からの結論

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza、1632 - 1677)は、オランダの哲学者である。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な「汎神論」と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。スピノザの汎神論は新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思

バトラーが地下室で出会った「哲学」とは

ジュディス・バトラー(Judith P. Butler, 1956 - )は、アメリカ合衆国の哲学者。政治哲学・倫理学から現象学まで幅広い分野で活動するが、とくに現代フェミニズム思想を代表する一人とみなされている。現在、カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授。 1956年、オハイオ州クリーヴランドでアシュケナージ系ユダヤ人(迫害を逃れドイツ語圏・旧東欧諸国に移住したユダヤ人)の家庭に生まれる。バトラーの回想によると幼少の頃から哲学書を耽読し、とくにキルケゴール

アインシュタインが語る「宇宙的宗教」とは

物理学者アインシュタインが神や宗教をどのように語っていたのかという興味深い書籍『アインシュタイン、神を語る(原題:Einstein and the Poet, 1994年刊)』より引用。著者は詩人・社会学者のウィリアム・ヘルマンス。 この対話は1948年9月14日にあるキリスト教牧師となされたものの一部である。つまり、第二次世界大戦、ユダヤ人のホロコースト、原子爆弾の使用といった出来事の数年後におこなわれている。そして、アインシュタインは、人の福利を国家や教会への忠誠に優先