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【短編小説】幸せの市場

 テーマパークへの訪問、おしゃれなカフェでのランチ、友人からのサプライズ、シャンパンと夜景、彼氏の優しさ。貴島恵美のSNSには、ファミレスの蛍光灯に照らされてキラキラと輝くメロンソーダみたいな生活が投稿されていた。私はエアコンの風が肌寒いオフィスで従業員のSNSをチェックしている。このアカウントは、彼女の採用選考時に見つけたものだ。入社前に人柄を知るために個人のSNSを調査することは一般的になっていたが、他人の習字に直接触れて生乾きの墨汁が手につく様な不快感があった。採用した後も、情報漏洩対策、ハラスメントの早期発見、従業員の精神状態の把握を名目にSNSの監視は秘密裏に続けられている。私は、横断歩道を渡る時の小走りみたいな義務感だけでSNSの監視を行っていた。珈琲を啜り、社用のスマホを上から下へと親指で撫でる。彼女以外の従業員のSNSは人柄が垣間見られるほど活発ではなく、精神状態の把握に役立つものではない。従業員のSNSのチェックが問題の解決に役立ったことは一度もなく、無駄な作業に思えるが、役に立たない方が、会社が健全だということも頭の中では理解していた。事実上この作業は彼女の精神状態を把握する為だけに行っている様なものだった。親とストーカーの間に立っている様で、スマホを撫でる指が不快に感じた。

 SNSのチェックを終え、通常業務に戻る。採用の時期以外は、あまりデスクから離れることは無い。キーボードの乾いた打鍵音と、パソコンから鳴るやけにポップな通知音。私の意識する音はそれぐらいだ。
「お疲れ様です!」
 貴島恵美の少し大きな挨拶に、私は少し肩をすくめる。彼女は会社でも明るく元気だ。ハキハキした挨拶と、少し多いと感じる会釈、それが私の中での彼女の特徴だった。私と同じ総務課の彼女が何を理由にオフィスの中を行ったり来たりしているのかは疑問だったが、要領よく仕事を済ませ、定時を過ぎた頃に退社する彼女に対する評価は高い。SNSで調査した人柄通りの良く出来た社員。地方アナウンサーが食リポをしている時の作り物の様な人柄に、私は不可侵の領域を感じることがある。彼女のSNSに独自性を感じられないこともその理由だ。どこかで見たような投稿の焼き増し。全方位に配慮した内容。笑顔か後頭部。幸せそうに見える彼女のSNSは、何かを追いかける様に、何かに追い抜かれない様に更新され続けている。まるで、他者と幸福度を競っているみたいに。

 いつもの様に社用のスマホを取り出して従業員のSNSを確認する。これも仕事だと自分に言い聞かせSNSを眺めていると、貴島恵美が1週間ほど投稿していないことに気が付いた。他の従業員なら半年更新されないこともよくあるので心配する程の事ではない。しかし、少なくとも3日に1回は更新されていた彼女のSNSとなると話は別だ。実家の冷蔵庫のコンセントに積もる埃を見た時の様な不安がそっと心に巻き付いた。珈琲の入ったマグカップの取っ手を持ち、手首に負荷を感じながら口元に運ぶ。彼女の会社での仕事ぶりに変化は無いように思える。強いて言えば、いつもは少し多いと感じる会釈が適正な回数に落ち着いたことぐらいだ。一見変化の無い彼女の変化に気付いている人間が私の他にいるのだろうか。過剰な自意識だとわかりながらも、子供が手摺の無い階段を駆け上がるのを見ている時のハラハラに似た危うさを感じる。前向きとは言えない姿勢で続けていたSNSの監視だが、一度変化に気づいてしまってからというもの、貴島恵美に対して父性とも取れる感情が芽生えていた。

 それから1週間が経過した日の夜、彼女のSNSが更新された。
「頑張らないと。泣」
 明らかにメンタル面に不調が出ていることがわかった。その後に複数投稿されたSNSの内容をまとめると、友達や彼氏と休みが合わず遊べないことを理由に、人生がつまらなく感じてしまったが、コンビニのスイーツを食べたら少し元気が出た、という内容だった。私は一通り閲覧した後に、最初の「頑張らないと。泣」が気になってしまった。何を頑張るのかと。SNSの更新が途絶えていた2週間、会社での様子に特に変わったところは無い。精神と行動に乖離が生まれている現状は危険だが、とりあえず本人が頑張ろうとしているので、もう少し様子を見てみることにした。

 その後、彼女のSNSは2週間のブランクを取り戻すかのように更新された。友人や彼氏と遊んでいる様子はもちろん、一人で食事や映画に出かけた様子が以前に比べて多く投稿されている。これが頑張るということなのだろうか。笑顔は取り繕えても、精神の疲弊は取り繕えていない。真実はどうかわからないが、私にはそう思える。彼女は今日も多くの会釈を行っている。頑張り始めてからは、そこに何気ない一言が加わるようになった。彼女の頑張りが間違いとも言えないが、正しいとも思えない。駅前で呼びかける集団に募金する人を見ている様な気持ちだ。幸せであるという証拠を残すように、他者の幸せに置いていかれないように、藻掻いている様にも思えた。彼女は幸せを相対的なものだと考えているのだろう。

 他者の幸せと比較して得られた相対的な幸せは、貨幣の様なものだ。他者の幸福度が上がれば、自分の幸福度は相対的に下がる。著名人・有名人の暴力的な幸せアピールで自分の幸福度の暴落を感じることもあれば、スキャンダルで暴落した有名人の幸せを見て相対的な幸福度の高騰を感じられることもある。しかし、他者に幸福度を操作される幸せの市場で自分の幸福度を一定水準以上に保つのは難しい。他者に操作されない幸せを見つけることが、メンタルを良好に保つ鍵になる。私は、幼少期に拾った丸く綺麗な石に今でも絶対的な幸せを感じている。

 幼少期、河原で拾った丸い石が私の宝物だった。自分で見つけた綺麗な石というだけで私にとって特別な価値があったのだ。雑巾で磨いては、徐々に光沢が増していくことに興奮を覚え、黒に近い灰色の丸い石は、私にとって何よりも輝いて見えた。勉強机の鍵のかかる引き出しに入れ丁寧に扱った。そんな丸い石も小学校の高学年になる頃には宝物ではなくなっていた。中途半端に知恵をつけた私は、世間に提示された価値を真に受けて、金額と物の価値が相関関係にあるものだと思い込んでいた。しかし、元宝物の丸い石を捨てることには若干の罪悪感と勿体無さがあり、引き続き勉強机の引き出しに保管していた。

 それからも捨てる理由が無いというだけで、取り出すこともなく、引き出しでの保管を続けた。高校生になると、受験勉強の息抜きで幼少期のノスタルジーに浸ろうと丸い石を引き出しから取り出しては数回握り、引き出しに戻すということを行った。今思えば、機械的に勉強する自分の人間らしさを保つための行動だったのだろう。

 大学生になり一人暮らしを始めるタイミングで丸い石を実家に残し、私は上京した。東京での大学生活ではいろいろな価値観を目の当たりにした。酒、金、性を中心とした価値観で生活する明るい人、学問を中心とした価値観で生活する静かな人、堕落に価値を感じている無気力な人、他者の価値観に影響されやすい人など、大学生は皆、個人の価値観が露骨だった。あらゆる価値観で動く人たちを見て、金額と物の価値に相関関係があるという思い込みが間違いだったことに気付くのと同時に、自分の価値を見いだす能力の衰えにも気が付いた。

 自分の中心がどこかもわからず、あらゆるものに価値を見いだせない。やりたいことも無ければ物欲も無く、生活の為にバイトをして、立場上勉強をする。花が枯れる様にじんわりと世界の色素が薄れてゆく。枯れているのは世界ではなく、自分の色彩感覚だと気づきながらも輪郭だけの世界に執着があった。そこそこの会社に就職し、社会人になっても衰えた色彩感覚を取り戻す様なことはしなかった。盆の休みに実家に帰省したとき、不意にあの丸い石が気になった。自分でも理由はわからないまま、勉強机の鍵のついた引き出しを開けて見た黒に近い灰色の丸い石は、強烈に色づいて見えた。丸い石を手に取り握ってみると、ほのかに幸せを感じた。丸い石の価値を思い出せたこと、捨てずに保管し続けた自分の人間味を思い出せたこと、何より、宝物が宝物のままだったことが嬉しかった。私はそれから10年たった今でも、その丸い石を持ち歩いている。

 SNSでの幸せアピールを頑張り続けていた貴島恵美だが、仕事での細かいミスが増えてきた。会議室の電気を消し忘れたり、資料の提出期日が半日遅れたり、上司の挨拶に気付かなかったり、些細ではあるが今までの彼女らしからぬ行動が増えてきている。SNSの投稿内容に変化はない。単なる疲れか、何かを抱えているのか。私は上司として声を掛けてみることにした。決してどのハラスメントにも該当しないように。
「貴島さん、疲れは溜めないように気を付けて。大きな問題になってからでは遅いですから。」
「すいません。ご心配かけてしまって。」
 今までの彼女なら、誤るよりも先に感謝を述べていた。メンタルに変化が生じていることは明らかだ。
「謝ることでは無いよ。有給も余っているようなので、計画的に休んでください。」
「はい。有給使って旅行でも行こうかな!」
 その旅行で体が休まるのかは疑問であったが、肯定しておいた。

 その日のSNSには、「心配してくれる職場が優しくて泣き」と投稿されており、私の声掛けが彼女の幸せアピールの一助となっていた。最近の彼女の投稿には、周りが優しくて泣く、という内容の投稿が増えている。些細な優しさで泣いてしまう程に精神が疲弊しているのか。明かされていない彼女の影が新居に増える不要物の如く徐々に範囲を広げ、光差す隙間も無いように覆ってしまうのではないかという一抹の不安があった。

 私の不安は、数日も経たないうちに現実のものとなった。彼氏への愚痴が、倒れたカップラーメンの容器から内容物が流れ出すように投稿され彼女の幸せは下落した。どうやら、彼氏に浮気されていたらしい。SNSには事の詳細が赤裸々に書かれている。書こうとしたというよりも、書き出したら歯止めが効かなくなったという印象だ。今まで幸せアピールを頑張っていた彼女が不幸をアピールする理由が私には理解できなかった。過去に残した幸せの証拠も、不幸までの過程として再消費されていく。過去の努力に相反する行動を行うに至った彼女の精神状態に興味が湧いた。私は彼女が何を求めていたのかを知るため、投稿された彼氏への愚痴に対する他者の反応を確認してみることにした。そこには、彼女を心配するコメントや、擁護するコメント、彼氏への非難、新たな恋への応援など、温かい反応が多く、否定的なコメントは一つもなかった。むしろ、貴島恵美が多くの人に支えられている幸せな人に見える。私は、相対的な幸せは貨幣の様なものだと改めて感じた。

 彼女が不幸をアピールした理由を推測するに、自ら幸福度を下げることで供給過多になっていた幸せの需給バランスの調整を試みたのではないかと思った。供給過多になった幸せは時に嫉妬や嫌悪感を生んでしまう。実際、彼女の幸せアピールに対する好意的な意見は少しずつ減っていた。彼女は幸せの市場を操作し、自らの幸福度を下げることで幸せの需要を増やし、結果的に不幸をアピールする前よりも幸せの相対的価値を上げることに成功した。これはあくまで私の憶測にすぎないが、計算でやっていたとしたら相当な策士だ。本能的にやっていたとしても、天才的なバランス感覚の持ち主だと言えよう。この一件で、彼女に対する私の評価は上昇した。

 彼女は体調不良という理由で2日間休み、後日スッキリした顔で出勤した。会釈と謝罪を引き換えに心配の声を獲得する彼女を横目に私は今日も従業員のSNSをチェックする。しかし、特記事項はこれといってない。犬や猫の写真、ラーメンの感想、冗談交じりの家族への愚痴。従業員からの情報漏洩やハラスメントの早期発見に関するものなど、会社の不利益になりそうなものは特になく、5分もあれば確認は十分だった。ただ、毎日「おはよう」とだけ投稿する男性社員のSNSが今日は更新されていないことが気になった。

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