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小説「あの時を今」01


「あの時、努力していれば」「あの時、始めていたら」「あの時を大事にしていたら」・・・
誰もが、そんなタラレバを考えることがあるだろう。考えてもどうしようもない、あの時の選択。その選択を再び迫られたら、自分は理想の選択をすることが出来るだろうか。その選択で自分の今が変わってしまうとしたら、今持っている何かを引き換えに過去の選択を変える勇気が自分にあるだろうか。理想の選択が最善の選択とは限らない。それでも、あの時をやり直せるとしたら。私は今、あの時をやり直すかどうかの選択を迫られている。



私は高校を卒業してからすぐ、地元の会社に就職し、25歳で結婚、翌年には子宝に恵まれ、今は妻と息子の3人で幸せな毎日を過ごしている。決して裕福ではないが、お金に困っているわけでもない、平均的な家庭。そんな平凡でありきたりな幸せに私は満足している。いつものように職場に向かっている途中、横断歩道を渡る少女に向かってトラックが迫ってきていた。トラックがスピードを緩める様子は無く、このままでは少女が轢かれてしまうだろう。助けられるのは私だけ。私が飛び出しても少女を助けられる確証は無い。それでも私は、少女を助ける人生を選んだ。それは正義感でも責任感でもなく、少女を助けようとしなかった人生を歩む自信が無かっただけなのかもしれない。私は道路に飛び出し、少女を歩道へ押した。そして私は、少女と入れ替わるかたちでトラックに轢かれてしまった。トラックと衝突する間際、少女の無事を確認できたことだけが何よりの救いだった。



私はトラックに轢かれた後、すぐに救急車で搬送され何とか一命を取りとめた。しかし無事だったというわけではない。私は、いわゆる植物状態になっていたのだ。しかし、意識はあり、耳も聞こえる。私の周りで、医者と家族が話している声が聞こえるのだが、私に意識があることを家族は理解していない。医者は脳波やらなんやらを見て
「意識はあり、私たちの会話も聞こえていると思われます。」
と言っていた。実際そうなのだが、それを伝えるすべが私にはない。体は動かないし、目も見えない。声を聞くことと、考えることしかできない。家族の悲しそうな声に心が痛む。詳しいことはよくわからないが、私の症状は珍しいらしく、一般的に有効な治療法は見つかっていない。



病院での生活がしばらく続いたある日、私の担当医から家族に対して、治験に関する提案があった。その治験は、最先端の治療方法らしく、理論や仕組みは全く理解できなかったが、何をするかはなんとなく理解できた。なんでも、人間の脳は過去の出来事を全て記憶しているらしく、その記憶データを基に仮想空間を構築する装置を頭に取り付けて、過去の記憶を追体験することで脳を活性化させて植物状態からの回復を目指すというものらしい。要は、私の記憶データを使ったVRみたいなものだ。装置は脳に直接接続するそうで、内心怯えている。



だが、その治療には一つ注意点があるという。それは、現在の記憶を引き継いだまま過去の記憶を追体験することになるということ。つまり、治療に成功して目が覚めたとき、本来の記憶と治療中の記憶が重なり混乱する可能性があるということだった。本来の記憶と治療中の記憶の差が大きくなるほど、目覚めたときの記憶の混乱は激しくなり、精神的な負荷が大きくなるという。幸い治療が始まる前にその事を確認できたのは良かった。治療中はなるべく、過去の記憶を基に行動することを心掛けよう。



治療が始まる前に医者や看護師からいろいろと説明を受けたが、最先端医療に緊張していたし、メモも出来なければ説明を聞き返すことも出来ないので、ほとんど覚えられなかった。覚えていることと言えば、あまり過去の記憶と乖離した行動は避けるということと、治療中の1年が現実世界の2カ月ということ、それと家族の心配そうな声くらいだ。妻はこの治療を私に受けさせるかどうか、ギリギリまで悩んでいたが、最後は私のことを信じてくれた。そんな妻のためにも頑張らなければいけない。1歳の息子はまだよくわかっていないようだ、ごめんな。



そして、頭に装置が取り付けられ治療が始まった。



治療開始の合図が聞こえると突然、まばゆい光と甲高い音にさらされた。突然の出来事に驚きと不安が押し寄せてきたが、ぼやけた視界に徐々に焦点が合っていく。あたりを見渡すと、そこは私が通っていた高校だった。私は今、制服を着ており、学生カバンを持っている。持ち物を確認してみると、私が17歳の高校2年生であることと、今日が4月20日であることが確認できた。植物状態になったあの日から、およそ10年前の春、そこから治療が始まるということか。



正門の前で立ち尽くし、考えを巡らせていると私を呼ぶ声が聞こえた。それは、友人のトモノリだった。トモノリとは、高校3年の夏に喧嘩して以来、口も利かなくなってしまっていた。約1年後、喧嘩するとわかっていながら会話をするのは正直つらい。
「こんなところで突っ立ってどうした?どっか悪いのか?」
「大丈夫、忘れ物してないか不安になってな。」
トラックに轢かれてから声を出していなかったので、自分の声に少し驚きながらも、トモノリと会話を続け教室に入った。

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