よさこいのボーカル

「よさこい=踊り」というイメージが定着しているため、よさこいのボーカルが注目されることは無い。しかし、よさこいはボーカルがいないと成立しない。最も重要なのに、こんなにも注目されないボーカルがいるだろうか。現存するよさこいグループのほぼ全てが、録音データを使ってパフォーマンスをしている。一度収録すればそれで終わり。よさこいのボーカルとは、なんて儚い存在なのだろうか。

よさこいと同じシステムのEXILEは、EXILE=ダンスというイメージを保ちながら、ボーカルの存在感を残している。なぜ、よさこいのボーカルはATSUSHIやTAKAHIROに成れないのか。その不思議を探っていく。

よさこいとは、高知県のよさこい祭りから端を発した、踊りを主体とする日本の祭の一形態である。今回は高知県の民謡「よさこい節」、同県の「よさこい祭り」ではなく、各地で開催されている「YOSAKOI」のボーカルについて考えていく。

ボーカルが注目されない原因として、まず考えられるのは、よさこい楽曲のサビが掛け声過ぎるという点である。よさこいの代表的な曲のほとんどが、「ソーラン!ソーラン!」や「ドッコイショ!ドッコイショ!」「ソイヤ!ソイヤ!」など、サビに掛け声的な要素を含ませたものが多い。これは、元々よさこい自体が祭りを起源にしているからだろう。それが故に、ボーカルが裏方に回っている感じが出てしまっているのだ。TRFで言うDJ KOOのポジションである。

よさこいの場合、ダンサーがメインでボーカルが裏方。EXILEの様に両方ともメインという訳でもなく、TRFの様にボーカル、ダンサー、DJと役割が分かれているわけでもない。よさこいボーカルの実態は、ボーカル兼DJ KOOなのだ。ボーカルというよりは、掛け声担当と言い換えた方がわかりやすい。

掛け声担当が注目されていないと考えると、元から裏方なのだから当然だ。しかし、掛け声担当と呼ぶには歌い過ぎているし、よさこいを構成する要素としての比重は重い。やはり、掛け声担当と呼ぶのは申し訳ないので、敬意を込めてボーカルと呼ばせてもらう。

では、よさこいのボーカルがもっと注目されるためにはどうすればいいのか。その答えは、既に出ている。ボーカルとしての実力を見せつければ良いのだ。奇抜な服装や言動など、DJ KOOを参考に奇をてらった作戦で注目を集めようとしても無駄だ。あれは、DJ KOOだから成立しているのであり、真似できるものでは無い。注目されるには、ボーカルとしての実力を見せつける他無いのだ。

では、どの様にしてボーカルとしての実力を発揮すれば良いのか。既に、掛け声の要素を含んだ鼓舞するボーカルとしての実力は、十分に発揮できている。よさこい祭りの盛り上がりを見れば一目瞭然だ。盛り上げの実力がこれだけ知られていれば、やることは一つ、よさこいをしっとりと歌い上げてみるのだ。一般的な鼓舞するよさこいの後に、泣かせるよさこいを披露することでボーカルとしての幅を見せつければ、注目されるはずだ。

しっとりとよさこいを歌い上げる他には、生歌よさこいという方法がある。これはシンプルで、生歌のよさこいを披露するというものだ。既に行っているよさこいチームも多い。この時、重要なのはライブ感である。譜面通りよさこいを歌うのではなく、よさこいライブバージョン的な、その一瞬に込めたよさこい、会場に合わせたアレンジよさこい、トラブルに対応するアドリブよさこい等を披露することで注目を集められるはずだ。しかし、よさこいライブバージョンには注意点が存在する。それは、ダンサーと息を合わせないといけないという点だ。独りよがりなよさこいでは、ダンサーと息が合わず、パフォーマンス全体の質が落ちてしまう。それは、ボーカルとしての実力不足であり、悪い意味で注目を集めてしまうことになる。よさこいライブバージョンを披露出来る様になるには、普段からダンサーとコミュニケーションを取ることが必要だろう。

よさこいのボーカル、それは現状「掛け声担当兼ボーカル」であり、裏方の域を出ていない。しかし、今後ボーカリストとしての役割を強めていけば、よさこいのボーカルという立ち位置を確立することが出来るだろう。ひいては、それがよさこい全体のレベルアップに繋がるのではないだろうか。

今まで、よさこいのボーカルに鼓舞されてきた分、今度は我々がよさこいのボーカルを鼓舞する番なのかもしれない。

ソイヤッ!

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