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小説「あの時を今」04



待ち合わせ場所に着いたが、そこにカオリの姿は無かった。約束の時間を10分過ぎてしまっている。待ち合わせに遅れた私に呆れて、帰ってしまったのではないかと不安を抱く。当時のことはよく覚えている。カオリは私にとって初めての彼女で、カオリとのデートにはいつも緊張し、待ち合わせ時間よりも30分早く来ては、そわそわと待っていた。スマホを確認するがカオリからの連絡は無い。そこから15分、カオリを待っていると、奥の方から落ち着いた色の服を着た女性が近づいてくる。顔を確認できる距離まで近づいて、ようやくカオリだとわかった。
「それじゃ、行こうか。」
「うん。」
付き合い始めてずっと、主導権はカオリにあった。カオリは高校2年生とは思えないほどに大人びていて、どこか余裕があったし、当時の私には余裕が無かった。カオリの提案を受け入れては、大人しくついていく、そんな恋路を歩んでいた。今思えば、誰かと付き合うということに重きを置いた、恋とは言えない関係だったのかもしれない。



私たちは、地元から近い大型の商業施設で買い物をしていた。デートと言うものの、手を握ったり、腕を組んだりは無く、会話も少なかったが居心地は悪くなかった。
「行きたいところは無いの?」
そんな何気ない質問に、
「うーん、特には。」
と答えてしまう。つまらない男だ。今も昔もあまり物欲の無い方で、行きたいところとか欲しい物を聞かれるといつも困ってしまう。過去を辿るという意味ではこれで良かったのかもしれないが、カオリはそんな私をどう思っているのだろう。カオリの様な女性がなぜ私と付き合っていたのだろうか。今になって気になってくる。一度は否定したトモノリの提案だが、いっその事、私のどこが好きなのか聞いてみたくなった。



カオリと次の店に向かっている途中、一人の女の子に目を奪われる。それは、高校生の妻だった。心拍数が上がる。妻は男と二人で歩いていた。当時、妻が付き合っていた先輩だ。名前はもう憶えていない。3年生になるまで妻との接点は無かったし、学生時代の恋の話は聞いてこなかった。自然に通り過ぎなければいけないなのだが、思わず妻の顔を見つめてしまった。妻がこちらに気づき、目が合いそうになる。私は咄嗟に顔を背けた。
「あの娘と何かあった?」
カオリは見逃していなかった。何も言わず、これ以上不自然な間が開けば怪しまれてしまう。私は、
「学校の外で会う同級生が珍しくて、何となく見てたら目が合いそうになってさ。」
と、言い訳をした。当時の私であれば、言い訳もできずにあたふたしていただろう。9年の社会生活で嘘が上手くなっていたのだと、この時に実感した。嬉しくは無い。
「友達でもない人のプライベートって気になるわよね。私も好きよ、人間観察。」
この時、カオリが人間観察を好きだということを思い出した。本来、このことを知るのはもう少し後のことだったと思う。カオリはいつも冷静に人を見ていた。カオリの父親は県議会議員で、小さい時から父親の付き添いで、いろんな大人に会ってきたらしい。高校生とは思えない落ち着きも、そんな境遇があってのことだろう。本当は私の言い訳など見透かされているのかもしれない。多少嘘が上手くなったところで不安が先延ばしになるだけ、下手な方がまだマシだ。



私たちは商業施設内のレストランで夕食を取ることにした。カオリと食事をしながら、学校のことや趣味のことなど、何気ない会話が続く。どうってことない会話の中にも、同級生の男どもとは違って、知性を感じる。まるで大人と話している様だった。少し慣れてきたこともあり、買い物中とは違って会話が弾む。気が付くと、27歳の私としてカオリとの会話を楽しんでしまっていた。高校生らしくない言動も度々あっただろう。カオリの中で私の印象が変わっているかもしれない。治療中にも関わらず気が抜けていた。食事を終え、カオリを家まで送る。
「今日は楽しかった。私たち気が合うかもね。」
「そうだね。おやすみ。」



帰り道、今日のことを反省する。服装や待ち合わせ時間、会話の内容など、本来の過去とは違う点が多くあった。妻とすれ違ったときも、冷静ではいられなかった。治療が始まってからこちらの時間で約1週間、過去を辿る難しさを痛感する。治療は最長で10年分行われると医者が言っていた。それ以降は、治療に使える記憶が無い。この10年分の記憶の間に植物状態から回復すれば、その時点で治療が終了する。それまで、なるべく記憶のズレが無いようにしなければいけないのだが、10年前の行動や会話の内容など憶えているはずもなく、異なる過去を歩んでいるのではないかと不安になる。幸い、まだ人間関係に大きな変化はないが、小さな違いの積み重ねが、どう影響してくるのかわからない。装置の補完による記憶への干渉も、どの程度のものなのか想像がつかない。いっその事、本来の記憶とは全く異なる人生を歩んで、治療中の人生として記憶した方が良いのではないかとさえ思えてきたが、目覚めたときの記憶の混乱が恐ろしく、そんな賭けは出来ない。不確定要素が多く、考えてもどうしようもないことだらけだが、少なくとも勉強の成績や部活の結果、トモノリとの喧嘩やカオリとの別れなど、未来への影響が大きそうな確定要素は変えない様にしよう。今日は疲れた。家に着くと、私は倒れる様に眠った。

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