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『小松左京自伝 実存を求めて』小松左京著(日本経済新聞社)書評

*本稿は時事通信社の依頼による書評です。時事通信社を通じて地方紙に掲載されましたが、多くの方に読んでいただけるように、ここに再録させていただきました。
*本書は2018年に小松左京全集完全版の第50巻として再刊されました。

 人文・社会・自然科学の様々な分野に通暁し、半世紀近くにわたってその膨大な知見をSFとして披瀝してきた知の巨人。本書はこの小松左京の軌跡とその作品世界を余すところなく伝える。


 「人生を語る」「自作を語る」という各部の題で内容は明らかだ。第Ⅰ部は日本経済新聞の連載を、第Ⅱ部は同人誌でのインタビューをもとに構成されている。万人向けに書かれた第Ⅰ部に比べ、熱心な読者を前提とした第Ⅱ部は、小松作品についてのかなりの知識が必要だろう。それを補うために、巻末に主要作品あらすじと年賦が掲載されている。よくできた資料であり、なにより小松作品にさほどなじみのない読者も、本書を手にとりやすくなる。


 そうした一般の読者にとっては、第Ⅰ部の少年期・青年期の記述は本書の圧巻に違いない。戦中戦後の困窮や陰惨な体験を小松は正確に、だが深刻に陥らずに回顧する。それでも時として噴出する沈鬱な記憶と死者への鎮魂が、『日本沈没』をはじめとする小松作品に漂う無常観や人類愛の起源を明らかにしている。いっぽう恐るべき記憶力と広範な興味関心は、戦争や政治を超え時代の風俗をみごとに描き出す。この細部へのこだわりも、あらゆるものを包摂する小松のSF世界へのカギなのだろう。


 第Ⅱ部の作者自身による自作解説と創作の裏話は、SFファンには必読の資料である。小松はここで、SFとはあくまで「文学」であり、SFにしかできないことを追求したからこそ逆に文学を豊かにしてきたと断言する。SFを日本社会に認知させた小松だから吐ける自負の言葉だ。


 そうした点からも、小説家で京大同窓の高橋和巳との親交は興味深い。「泣き上戸」と「うかれ」。陳腐なほど対照的な二人が並ぶ一葉の写真が本書に収められている。高橋の文学は、芸術と人生の矛盾に煩悶しながら内向し純化していった。それに対して小松はSFを「一種の逃げ道」として、あらゆるものを貪欲に取り込み、自由でハイブリッドな作品を書きつづける。だがどちらも「実存」を求める精神の生み出した文学なのだ。


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