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『絶対帰還。』クリス・ジョーンズ著(光文社)書評

*本稿も、時事通信で書かせていただいた書評の再録です。本稿で触れている本書の内容に一部誤り(ないしは誤解)があることを、SF翻訳家の大野典宏氏にご教示いただきましたが、初出のままの収録とさせていただきます。

 アポロ十一号の月面着陸は私が六歳のときだ。その後長い間、宇宙開発とは「未来」「進歩」と同義語だった。その一方でアポロ一号の惨事や十三号の危機、スペースシャトルの二度にわたる爆発事故など、そこにはつねに危険や犠牲がつきまとうことも学んだ。本書の原語の副題「宇宙における生と死の物語」が伝えるように、この厳然たる事実のみが支配する宇宙空間には、安易なレトリックや感傷などの付け入る隙はない。

 二〇〇三年二月のコロンビアの事故によって、国際宇宙ステーションに取り残された三人の宇宙飛行士。彼らを無事に帰還させるための米ロ共同ミッションの顛末が、本書の中心プロットである。スポーツ・ノンフィクションが生業である著者の筆は、ときに情緒に走り、また構成や展開も必ずしも緊密とは言えない。だがそれでも最後まで飽きずに読ませるのは、その向こうにある宇宙の姿とそこで展開される事実が圧倒的だからだろう。

 打ち上げや宇宙空間での船外活動などについての記述は細部にわたる。宇宙遊泳の準備や、エアロックひとつ抜けるのにかかる手間は驚くほどだ。ソユーズカプセルによる大気圏突入から救出までの緊迫感も圧巻。こうした細部の積み重ねの果てにこそ、ドラマは生まれるのだ。

 さらにソ連/ロシアの宇宙開発の歴史やその技術、また宇宙ステーションへの貢献なども一読の価値がある。旧ソ連のミール宇宙ステーションで蓄積された経験が現在の国際ステーション活動に不可欠であること、この分野ではロシアに一日の長があることなど、日本での宇宙開発の報道ではあまり伝えられていない事実もきちんと記述されている。

 無重力空間ではポールペンが使えない。この問題に対してアメリカは膨大な資金を投じて新たなペンを開発し、ロシアは鉛筆を持ち込むことで解決した。壮大かつロマンあふれるアメリカに、とことん現実的なロシア。この両者のアプローチとその共同作業が宇宙開発の未来を作る。それが本書の最大の教訓だ。


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