名前という音があらわすもの

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風の谷、ジルの子ナウシカ。

ナウシカの漫画を読んだ時にとても不思議に感じた。ナウシカは、自分の名前を名乗るとき、”風の谷、ジルの子ナウシカ”と言う。ただ、ナウシカと言うのではない。

これは映画だけを観ていても気づかなかった部分だ。なぜ、”ジルの子ナウシカ”と名乗るのか。なぜ?”風の谷”と主張するのか。

そこから自分の名前についても考えてみた。私の本名は”Mai”と言う。カナダへ留学しているときは、みんなに”メイ”と呼ばれた。訂正するのもめんどくさかったから、”メイ”でいいやと思いながら生活していた。

漢字で書くと『麻衣』と書く。「麻」で作った「衣」のように”強い子に育つように”と願いを込めて付けられた名前だ。おかげさまで、強い女に育った。

マイになるきっかけは、トトロのメイちゃんだったとも親から聞いていた。”メイちゃん”だと同世代にたくさんいそうだったから〜。と母は言っていたが、私が28年間生きている中で”メイちゃん”よりも”マイちゃん”の方が多く出会っている。

”メイ”も”マイ”も私が出会うべくして出会った名前なのだろうと思う。私は自分の名前がとても気に入っている。

しかし、中学校や高校では名字で呼ばれることの方が多かった。大学になるとコートネームで先輩から”えぼし”という名前をもらった。(ジブリ映画「もののけ姫」のエボシ様が由来である。ちなみにnoteの名前はこの時の名前からとっている。)

就職してからも”マイ”と呼ばれることは少なかった。そこでも私のあだ名が生まれ、その名前もとても気に入っていた。

そう考えると、私にはたくさんの名前があるのだ。その時、一緒にいた人たちによって呼ばれ方が違った。どの名前もとても好きだった。

会社を辞めてからは、海外へ飛び出して”マイちゃん”と呼んでくれる人達と多く出会った。その人たちと出会うときは、何も飾らない自分でいられた。”マイちゃん””マイさん””Mai”と呼ばれるのはとても心地が良かった。

そこで気がついたのだ。私の名前は”マイ”。自分を見失わないための名前なのだ。それは、インドの古い言葉で唱えられるマントラのように、本当の自分とつなぐための音なのだと。

そして名前をつけるということは、そこに愛を宿すということなのだと知った。

名前を与えられたことで、名前をくれた人の愛がその音に宿るのだ。つまり名前というその音は、愛のエネルギーでできている。

”マイ”という名前もその他の名前も、みんなに愛されて生まれた。

そんな意味を込めて、ナウシカは”ジルの子”と言うのかもしれない。

そして帰る場所を忘れないために”風の谷”というのかもしれない。

今、ここにいる私を知るために、私はこの名を授かった。その名前はとても素晴らしい音だと私は今日、感じた。

余談ではあるが、ハワイの言葉でこんな素敵な音がある。

”Aloha aku, Aloha mai”

愛し、愛される

その音の中に”Mai”があることがとても嬉しく、誇りに思う。

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