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言葉の意味を強迫的に深く考えてしまう事件

頭の中を忙殺するこの事件が起ったのは、中学2年生の5月あたりだ。

当時、医学部コースのある中高一貫の進学校に通っていた。父が医者だったこともあり、自分も医者になると漠然と思いながら日々勉強に励んでいた。そんなある日のこと、言葉を深く考えすぎる出来事が起きる。

その時、勉強していた科目は化学だった。分子の構造について勉強していた。分子の入れ替わりの項目でなんら深く考えることのないように思える項目なのだが、その当時の僕はこう考えていた。

なぜ分子は、入れ替わるんだろう。

答えのない疑問に頭がいっぱいになった。

その事が頭から離れなくなったのだ。今考えればなぜなど理由はそこになく、科学の研究結果の事実であるという認識で済むのだが、その当時はなぜが頭から離れなくなっていた。

次の日の学校でいろんな先生にその疑問をぶつけてみたが、返ってくる答えは、

それはそういうものだからだと言われるだけであった。

しかし僕の頭の中は、理解できずなぜそうなるのかをずっと探していた。

別のある日のこと、その日は数学と日本史を勉強していた。その時にも似たような事件が起きる。

三角形の証明は定義を二つ証明すれば三角形とみなされるのだが、なぜ二つを証明すれば三角形の証明になるのか?

また、日本史をやっていた時

鎌倉時代や、安土桃山時代の戦の終わりってどのように終わらせていたのか?今のように公共電波もない時代にどのように勝ち負けを決めて、どのように戦が終わっていたのか?という疑問。


このような考えても考えても答えの出ない物事をひたすら考えるようになって頭の中はそのような事ばかりが占領するようになる。強迫性のようにそのことを考える毎日に。


そんな事をずっと考えていると言葉の意味を疑うようになってきていた。なぜ、ありがとうは、ありがとうという音でありがとうの概念を表すのか。言葉はどのようにできて、なぜその文字表記と音で伝わるのか?という疑問にまで掘り下がっていった。


その頃から、勉強が出来なくなり、人とのコミュニケーションがうまくいかなくなった。

それまでは、真面目で野球部のキャプテンをするほど活発な青年だったのに一気に対人恐怖症になり、強迫的に物事を考え込んでしまう状態になり、自分の事がどんどん、わからなくなっていった。

そのままでは埒があかない、生きて行く事が困難になり、なんとかその感情に蓋をしてそれまで自分が使っていた、言葉や仕草を思い出して、そのような自分を抑え込み生活して行く事にした。離人症のようなものだ。

未だにその時の名残が残っていて、

人とのコミュニケーションは、不自然だ。対人恐怖もその時のままそっくり残っている。そして、今は、双極性障害という気分の上下に悩まされていて社会的にも絶望と言われる状態に追い込まれている。

一旦蓋をして社会生活を続けていたが、うまくいかなくなり

この事件の解明に、時間を費やす毎日を送っている。周りが前に進んでる中、同じ場所をクルクル回っている自分に焦りしかない。

強迫的に物事を深く考えすぎるようになってしまった以前に無理がなかったか、不自然なことはなかったかをカウンセリングや、精神療法で深く掘り下げている最中だ。


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