「オバマ元大統領のプラハでの演説の通り」2023年9月27日広島市議会総務委員会 雑メモ

沖本高博議員(東区/自民党市民クラブ):
平和記念公園とパールハーバー国立記念公園が一体となり、世界恒久平和を発信することについて、発言させていただきます。

平和記念公園と、パールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定について、先の本会議の一般質問の答弁におきまして、協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した、という発言がありました。政治的および外交の分野において、棚上げという発言を聞いて、1972年の日中正常化における、当時の田中角栄首相と周恩来首相との間の交渉において、領土問題などデリケートな問題を棚上げし、まずは国交を開き、交流し、信頼醸成を構築することが重要で、様々な問題は、未来の世代に委ねるという経緯があったことを記憶しております。そこで、改めて、このたびの棚上げという言葉に込められた、お考えをお聞かせください。

国際化推進課長:
先日の本会議での答弁の中で、棚上げと申し上げましたのは、和解の精神を説明するために用い、さらに姉妹公園協定により、アメリカ国家の責任を不問・免罪にすることにはならないということを市民の皆様に理解していただくために用いたものです。今回の締結の判断につきましては、米国の原爆投下の責任に係る議論があることを踏まえつつも、現下の国際情勢を考慮すれば、この解決を待つのではなく、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという機運を市民社会に醸成するための未来志向に立った対応を逃さないようにすることこそが急がれるものであると考え、こんな思いを他の誰にもさせてはならないと世界に訴えてきた被爆者の寛容と和解の精神に沿うものであると考えたことから、本協定を締結することにしたものです。以上でございます。

沖本議員:
棚上げという言葉が、和解の精神と、未来志向という考えがあるということはよくわかりました。棚上げという言葉が、ヒロシマの心である、過去の悲しみに耐え、憎しみを超えて平和を希求するという和解の精神を表現しており、決してアメリカの原爆投下の責任の続きを放棄するわけではありませんし、ましてや戦争を是認するわけではありません。そして、いつの日か、アメリカが広島・長崎への原爆投下の責任を認め、謝罪することを、被爆者の方をはじめ、市民の方々の切なる思いであります。一昨年、お亡くなりになられました元被団協の代表の坪井直さんの言葉をここで紹介したいと思います。

いつまでたってもアメリカ憎しになる。腹の底にないかと言ったらある。あるがそれを乗り越えんとね、平和はない。幸せはないと、憎しみを抑え、相手と向き合おうという強い決意が表れております。棚上げという発言により、市民の方々への誤解が生じたことは残念でありますが、本協定締結により、更なる交流、友好を深め、未来志向へと繋がることを期待しております。

次に、去る6月29日に、米国大使館にて松井市長とエマニュエル駐日大使が、本協定に調印されたことは、多くの市民の方々にとって、突然入ってきた大きなニュースとして、驚きとともに、鮮明な印象があろうかと思います。このたびの姉妹公園協定締結に向けて、長年にわたる取り組みの結実であると認識しています。パールハーバー国立記念公園が位置するホノルル市と、昭和34年、1959年に世界平和に向けて友好親善へ資する取り組みとして、姉妹都市協定を締結し、60年以上が経過し、着々と相互の信頼と理解を深めてきました。その上で、松井市長が1期目の2012年にホノルル市を訪問した際、パールハーバー国立公園にあるアリゾナ記念公園を訪問し、そこで和解による平和が求められていることを演説されてました。それから5年後の2017年には、ハワイのホノルル広島県人会の会長から、パールハーバー国立記念公園と平和記念公園との姉妹公園協定を打診されましたが、その際は時期尚早かつ機運が実ってないと判断し、見送りとなりました。そして本年4月に米国総領事からG7広島サミットの開催を機に、両公園の姉妹公園協定の申し出がありました。

先のG7広島サミットでは、広島ビジョンが取りまとめられ、これまで本市が進めてきた「迎える平和」の大いなる成果があったものであり、この機運の高まりを生かし、好機を逃さず、米国からの申し出を受け入れ、姉妹公園協定を締結したと理解しております。

これらの歴史的経緯や、本協定の目的や目指すべき取り組みについて、市民の方々へ言葉を尽くし丁寧に説明し、理解を求めてもらいたいと考えております。最後に、このたびの姉妹公園協定を締結することがゴールではありません。あくまでスタートです。本協定の向かうべきところとして、平和記念公園と、パールハーバー国立記念公園が一体となり、世界恒久平和、そして核兵器廃絶に向けて取り組みを発信し、訴えかけていくことが、期待されております。締結して日が浅いですが、現時点で検討されている取り組みについて、何かあれば教えてください。

国際化推進課長:
本協定を生かした取り組みについては、今後、パールハーバー国立記念公園の関係者と協議調整を進めていくこととしていますが、両国の次世代を担う若い世代の交流に重点を置くことについて、パールハーバー国立記念公園側と合意しており、若者がお互いにそれぞれの国の歴史をしっかりと学び、核兵器のない、より良い未来の道筋を描き、その実現に繋がるような交流や企画を実施したいと考えています。また、こうした事業を積み重ねていくことにより、相互理解と和解の精神を具現化した好事例として世界に発信し、「平和文化」を市民社会に根付く根づかせていくことで、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けた機運を醸成していきたいと考えています。以上です。

沖本議員:
まさに、若い世代を中心とした交流、そして文化的な交流を通して、平和を発信する大きな一歩だと思っております。これから、パールハーバー国立公園と、一体となり、ぜひとも平和の大きな取り組みとして、大きな第一歩として進んでいってもらいたいと思います。以上です。

中森辰一議員(西区/日本共産党):
先ほどもありました、パールハーバー国立記念公園との姉妹公園協定についてということで、質疑をさせていただきます。先ほど棚上げというお話がありました。私は棚上げにしてはいけない問題があるんだということをお話したいと思います。

ついでに、先ほど日中国交正常化の問題での棚上げ問題ということがありましたけども、私達の理解は、あの日中国交正常化、調印をしたわけですが田中角栄元首相と周恩来元首相との間で調印が行われましたけどもあのときに、周恩来氏の方からですね、あの尖閣諸島の問題、向こうは尖閣諸島と言いませんが、この問題どうしようかという問いかけがあったんですよ。あのときに田中元首相は、難しいことは後回しにしよう、といった風な趣旨のことを述べた。そういうことで、あのときはきちんとした決着をつけなかったと、棚上げにしちゃったわけです。なので、今、尖閣諸島の問題が何ら大変な状況になっているんだと。そういうことではですね。やっぱり、この外国との交渉というものは、その譲るときはあるけれども、しかし、決着をつけなければならないものはきちんと決着をつけていく。そういうことができないといけんのだという、そういう教訓を残したのではないかなと私達は考えております。

そういうことで、今回のパールハーバーの問題もですね、やっぱりきちんと問題を捉えて考えていかんといけないという風に思います。記者会見で市長が人類が戦争という過ちを犯しながらも、理性を持って和解し、未来志向で平和を求めることができる存在である象徴になるという風に述べられましたが、そもそもそれぞれの施設の設置の目的が異なっております。

広島市の平和記念公園は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする、こういう広島平和記念都市建設法に基づく記念施設です。原爆投下によって亡くなった方々を追悼するとともに、二度と戦争をしないように、核兵器を廃絶できるようにとの思いを具体化するための施設であります。

パールハーバーの国立記念施設というのは、アリゾナ記念館に見られるように、日本軍の奇襲攻撃で亡くなった人々を追悼する。追悼一緒ですけれども、とともに、日本軍の奇襲攻撃があったということを象徴するといいますか、そういう施設なんですね。アリゾナ記念館の建物をデザインしたアーサー・プライスさんという方が、この建物のデザインについて語っておられるようです。中央部は確かにたるんでいるが、両端はしっかりと持ち上がっておりという風に述べた後ですね。最初の敗北と最終的な勝利を表している、という風に述べている通り、いかにアメリカがあの戦争で、果敢に戦って勝利を収めたか。そういう風なことも表している。そういう点では、そもそも設置の目的が違うんじゃないかなと思います。

かたや非人道的な戦争被害を告発し、その実相を知らせ、原爆は二度と使われない世界の実現を願って作られた施設。かたや被害者の追悼ということは同じですけれども、戦争に勝利したこと、勇敢に戦い勝利した米兵とアメリカ軍を誇りに思ってもらう施設であって、戦争のない世界を作ろうというものではありません。

パールハーバーは、旧日本海軍が米軍基地を奇襲攻撃したのであって、戦争を有利に進めようとした基地への攻撃というのが目的でありましたが、これに対して、広島への原爆投下というのは、軍事都市ではあったんですけれども、そこに生きていた子供からお年寄りまでが、つまり一般市民がたくさん生活する場所であって、しかも四方を山と海に囲まれた、開けた地形で、原爆の効果を測るのに都合がいいという理由で選ばれて、原爆投下を受けた。しかも世界大戦終結後の世界での力関係と、いわば核兵器を使用したときに、どういう被害を及ぼすことができるかを実地に調べる目的もあった。いわば、広島、長崎もですが、実験台となったという面もあります。しかも、未だにそれをアメリカという国は正当化し続けております。

そもそも全然違う目的、違う趣旨の施設であるにもかかわらず、なぜ姉妹協定という話ができるんだろうかという風に思うんですがどうですか。

国際化推進課長:
このたびの姉妹公園協定は、両者が過去から学び、未来の新たな考えを共有し、多くの人に訪れてもらうことで、恒久平和を願う場であるという公園の重要性を理解してもらうという共通の理想を達成することについて、合意したから締結できたものです。なお、国立公園局の説明によれば、パールハーバー国立記念公園の記念碑群は、恒久平和の象徴であるとされています。以上でございます。

中森議員:
協定書ではですね、パールハーバーの方は英語表記では、パールハーバーナショナルメモリアルという風になっております。メモリアルパークとはなっていないのに対して、平和公園の方はヒロシマピースメモリアルパークという風に書いてあります。つまり広島の方は、広島平和記念公園となっているわけですが、パールハーバーの方はパールハーバー国立記念施設ということになっております。あるいは、公園同士の協定ではなくて、平和公園と国立公園局が管理しているパールハーバーにある国立の記念施設、あるいはいくつかの記念館との姉妹協定いう風なことになるんではないかと思うんですが、どうなんでしょう。

国際化推進課長:
本協定が対象としているのは、パールハーバーナショナルメモリアルを構成する複数の記念施設です。これらについては、国立公園局からアリゾナ記念館、ユタ記念碑、オクラホマ記念碑、旧下士官宿舎、ビジターセンターとその周辺区域に限定されるとの説明を受けています。なお、パールハーバーナショナルメモリアルを訳する際、米国の国立公園局が設けている姉妹公園、シスターパークという枠組みに基づいて締結するものであり、米国側と協議し、わかりやすく表記するために便宜上、パールハーバー国立記念公園と訳したものです。以上でございます。

中森議員:
公園ではないということなんだと思うんですよね。姉妹公園協定という風にし、調印をした相手は、講演ではないという風に今おっしゃったと思いますが、アメリカの方でこれをアメリカ側の方を記念公園という風にするということになりますとですね、パールハーバーの公園区域と呼ばれる、一定の区域があると思いますけども、そこにある戦争に関わる全ての施設を含むいうことになってしまうんじゃないかなと思うんですけども、この点はどうですか。

国際化推進課長:
先ほども答弁した通り、パールハーバー国立記念公園は、アリゾナ記念館、ユタ記念碑、オクラホマ記念碑、旧下士官宿舎、ビジターセンターとその周辺区域に限定されています。以上でございます。

中森議員:
そうおっしゃいますがですね。パールハーバーにある戦争記念施設っていうのをいろいろ調べてみましたらですね、一般的に紹介されているのはビジターセンター、これは入ってましたね。が玄関口だということなんですけど、そこから四つの施設に行けますという風に説明されております。

USS、先ほどあったアリゾナ記念館、戦艦ミズーリ記念館、パールハーバー航空博物館、USSボーフィン潜水艦博物館いうというものが紹介をされております。いずれも、太平洋戦争で戦った兵士たちや、その勇敢な戦いを称賛し、起こる展示が主の目的になっているようです。実際は、それぞれ運営団体が間違っているということなんですけど。アリゾナ記念館のすぐそばにも、軍事博物館とも言える潜水艦ボーフィンを展示し、中に入って体験できる施設になっています、といったものもありますね。

このボーフィンというのは、ボーフィンに撃沈されて、1500人と言われる子供たちが犠牲になった対馬丸、これもここの撃沈されたわけですけど、これもあのボーフィンの船体、艦体に、どんだけの数、撃沈したかっていう日の丸の数では塗ってあるんですね。表示してあるんですが、その中にこの対馬丸も入っています。この対馬丸も入ったこの表示っていうのは、これはあの、外に展示してあるわけですから風雨によってどんどん塗装が剥げていきます。それを改めて塗り直して、その日の晩の撃沈した数も、対馬丸の分も含めてですね。ちゃんと表示し直されるという、そういうふうなものになっているわけですよ。つまり、そういう施設だということですよね。

公園というのであればこれらの施設も一体ということになるんじゃないかなと私は思います。それで、6月22日に出された協定締結についてという説明書がありました。対象となる施設について、先ほども説明ありましたけれども、一つは平和記念公園にある施設については広島市が所有するものに限ります。書いてあります。パールハーバー国立記念公園は、アリゾナ記念館、ユタ記念碑、オクラホマ記念碑、旧下士官宿舎、ビジターセンター周辺区域を指し、軍事施設は含まれていませんという風にも書いてありました。

しかし協定文を読みますとですね、対象となる施設について、平和記念公園については、6月22日との説明文書と同じ記述があります。パールハーバーナショナルメモリアルこっちの方はですね、6月20日の説明文書にあるような対象施設の指定や限定の文言はありません。軍事施設は含まれていないにしてもですね、周辺には、先ほど申し上げた施設があるんです。どうして協定文の中に、平和記念公園の対象施設を限定したように、相手施設も限定する、そういう文言、文章を入れなかったんでしょうか?

国際化推進課長:
パールハーバー国立記念公園については、国立公園局が所管するものの対象範囲が明確にされていたところ、平和記念公園については、市が所管していない国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の他、市民団体等が設置している多数の慰霊碑等を協定の対象に含まないことを明らかにするために記述したものです。以上でございます。

中森議員:
でも、そういう限定の文言を入れてもおかしくはなかったと私は思いますよ。そういうことをあえてしなかったということではないかなと思うんですけども。それから、前回も指摘しましたけれども、この6月22日の説明文書では、戦争終結の地という言葉がありました。私はこれ、説明に来られたときにこれはどうなのかということを申し上げましたけれども、実際にはですね、8月6日以降も長崎への原爆投下がありました。全国の都市への空襲がまだ繰り返されておりましたし、実際に戦争が終結したのは、結局9月2日の、それこそパールハーバーに展示してある戦艦ミズーリ上での降伏文書調印式によってであります。

だから、その戦争終結の地という説明自体がですね、これは事実として誤りです。と同時に、原爆を投下された広島を戦争終結の終結の地とするということはですね、原爆投下を戦争を終わらせるためだったというアメリカ政府の原爆投下の正当化の理屈を、認めることでもあります。これは、これまで広島市と広島市民が積み上げてきた、原爆投下は人道に反するものであるということとともに、平和記念資料館の展示説明にもありますが、戦後の米ソ関係を見据えたアメリカの軍事的優位性の確保を意図したという本来の目的を、覆い隠すことにもなるんじゃないかと思います。

核兵器は絶対に使ってはならなかったのであって、この記述は、核兵器を使用した責任を曖昧にするものということじゃないでしょうか? 核兵器は絶対に使ってはいけなかったし、これからも使ってはなりません。このことを世界の世論にするために、営々と取り組んでこられた広島市の平和行政と、被爆者を初めとしたたくさんの方々の努力、これと矛盾するんじゃないかという風に思います。

あの文章の中で使った戦争終結の地っていう言葉っていうのは、それほどに重大な言葉になってるんだということを、広島市の方は自覚しておられるでしょうか?

国際化推進課長:
6月20日の説明資料では、戦争の終焉の地に関係するとしており、これは、1945年8月6日に広島が原爆が投下され、同月15日に終焉を迎えたという時間的近接性を指しているにすぎませんこの度の協定はあくまでも在大阪神戸米国総領事が示したパールハーバー国立記念公園は、太平洋戦争の当事者間の相互理解と平和推進を目的としており、平和記念公園と目指すところは共通しているとの見解を踏まえつつ、未来志向で平和と和解の架け橋の役割を果たしていくことになると考えて締結したものです。従って、アメリカ政府による原爆投下の責任については言及しておりませんけども、それを正当化するものではないと考えております。以上です。

中森議員:
アメリカが世界に先駆けて、旧ソ連との対抗的な世界戦略上、優位に立とうと、こういう意図で、広島と長崎に原爆を投下したということが結局、旧ソ連の核兵器開発を誘発しました。そして、米ソの急速な核開発競争を招いた。さらに、世界各国への核兵器の拡散をもたらすことにもなりました。さらに、核開発競争の中で、広島と長崎だけではなくて、世界各地に核被害を拡大する。そういうふうなことにもなったわけです。そういう意味でも、このアメリカという国の、広島と長崎への原爆投下の政治的道義的責任、これは極めて大きいと思いますけども、広島市行政はこの点についてはどういう風にお考えですか。

平和推進課長:
はい。原爆投下の政治的道義的責任についての指摘を踏まえながら、本市としては、米国の道義的責任に言及した、オバマ元大統領のプラハでの演説の通り、米国が核兵器のない世界に向けて、具体的な責任ある措置を取るよう促していくための環境を作っていく必要があると考えています。以上です。

中森議員:
オバマさんは、核兵器のない世界を自分たちが作っていくんだということをおっしゃいましたけれども、結局これは何もできずに終わっちゃいましたね。アメリカという国はそういう国なんですよ。アメリカという国家は未だにこの原爆投下を反省しておりませんし、世界で初めて原爆を使用したということについて、核兵器を使用したことによって、世界中の核兵器開発をスタートさせてしまったという責任についても反省していません。それどころか、アメリカが核開発を始めたにもかかわらず、その結果もたらされた世界各国の核兵器保有を理由にして、自らが率先して核兵器の削減を進めるどころか、核兵器保有の理由づけにもしています。

先のG7サミットでの広島ビジョンなるこの共同声明でも、核兵器がある限り自分たちの核兵器は必要だ。同じようなことを述べているわけですね。しかしこのように、反省がない状態のままの国家に対して、核兵器を使用したということについて、広島は許していいんだろうかという風に思うんです。決してそういうわけにいかない。なぜ放射能の影響を含めて、たくさんの市民が犠牲になるということがわかっていながら、さらに言えば、1個の爆弾による歴史上例のない大量の殺戮になるということがわかっていて、それでも原爆を都市で使用した。その判断をしたのかということを、アメリカや国家に取り続けその責任を追及していくということが、これからもずっとアメリカが反省するまで要るんじゃないかと思いますけども、どうお考えですか。

平和推進課長:
米国にその責任を問い続け、追求していくべきだとの考えがあることを承知しているからこそ、非難し合って、平和構築に向けた動きが停滞することのないよう、本市では、被爆者のこんな思いを他の誰にもさせてはならないという切なる願いを基にしたヒロシマの心を世界中に発信することにより、米国を含む核兵器保有国が、核兵器のない、真に平和な世界の実現を目指すよう取り組んでいく必要があると考えています。以上です。

中森議員:
そういうふうな答弁をされるんであればあえて言いますけれども、後の質問とも関わるんですけど、あの平和記念資料館に、確かにアメリカがなぜ原爆を投下するに至ったか、どうしてそういう判断をしたかということは、簡単に書かれています。しかし、そのアメリカの責任についてですね、明確に責任を問うような文言ってのはそこにはないんですよね。歴史上の事実としてそういうことが書いてある。やっぱそこら辺もですね、広島のどうですかね政治的なことに対する配慮というか、遠慮というか、そういうふうな状況がですね、見えているんじゃないかなという風に思います。

先ほども和解というふうな言葉もありましたけれども、その和解ってのはですね、これ秋葉さんの時代から言い始めたという風に思いますけども。ほら、広島市民を含めた日本の国民とアメリカの国民との和解ということなのであって、核兵器を二度と使わせてはならない。1日も早くなくす。そのために、戦争がない世界を実現しよう、こういうことでですね、両方の国民が一緒に取り組んでいこうじゃないかと。こういう思いを共有しようということなのであって、原爆投下の本当の意図を隠したまま、人道にもとる選択をした判断を正当化し続けたままのアメリカという国を、国家を、許すということとは違うことなんです。

平和記念資料館の館長をしておられた原田浩さんという方がいらっしゃいますけれども、新聞の取材に対して、未来を志向するというなら過去の検証は欠かせないという風におっしゃってます。しかし原爆投下がどんな意味があるのか。核兵器をなぜ市民に使ったのか、うやむやのままじゃないかということを述べておられます。これはアメリカという国家が未だにうやむやにしたままだということをおっしゃっているわけですけれども、6月22日の説明文書では、広島ビジョン実現に向けた第一歩という風に述べてあります。

これは、広島ビジョンを市が肯定的に評価していたということに他なりません。しかしその後、8月6日の平和宣言では事実として、広島ビジョンの内容が2点紹介されましたけれども、「しかし」として、核抑止論は破綻した。こういう風に強く指摘をしました。これは、広島ビジョンが核抑止論を肯定したものであるということを認め、これは広島市が目指す方向と矛盾するということを認めたことを示しているんじゃないかなと受け止めました。

しかし、G7サミット後の6月議会では、市は広島ビジョンを評価する答弁をしておられましたね。つまり、市には、広島ビジョンを肯定的に評価するという考えがあったから、姉妹公園協定が広島ビジョン実現に向けた第一歩だという風にしたんではないかと思ったわけです。しかし、被爆者を初めとした市民の働きかけがあって、平和宣言には、広島ビジョンを肯定的に評価するような文言は入りませんでした。改めて伺いたいわけですけども、アメリカという国は国として、原田元館長がおっしゃるように、未だにうやむやのままにしている。つまり人類に核兵器を使用したということについて、未だに反省していない。広島と長崎の被爆の実相に向き合っていないからこそ、核抑止論を維持し続け、核兵器を使うという手段を手放そうとせず、決して自ら率先して核兵器を減らそうとしていないんではないかと私は思うんですけど。広島市のこの平和行政を進めてきた当局としては、どういう風にお考えですか。

平和推進課長:
米国がロシアや中国などを念頭に置いた安全保障上の脅威への対処を超えて、オバマ元米国大統領がプラハで演説したように動くようにするためにも、平和宣言において、核抑止論が既に破綻したものであることを明言したところであり、本市としては、G7広島サミットにおいて、バイデン大統領が被爆の実相に向き合い、芳名録に記帳したことを踏まえ、核兵器廃絶に向けて具体的に行動していただきたいと考えています。以上です。

中森議員:
バイデン大統領が平和記念資料館に入られた。しかしあそこは、現場はですね、私達は見ていません。本当にあの日、本館の被爆の実相に本当に触れられたのか。疑問を持っていらっしゃる方も、元館長もいらっしゃいましたよ。確か新聞でそういう発言をしておられましたけど、本当に本館を見られたのか。見てなかったんだったら意味がないという風におっしゃってましたけれども。バイデン大統領が残されたコメント、あれも非常に曖昧なコメントだったなという風に思いますが。あれでね。本当にアメリカという国が、私達が求める方向に向けて動いていくんだろうか現状で。そういうふうな考え方になっているのか。少しでもそういう方向を目指そうとしているのか。全く私達にはそうとは思えません。和解とか、未来志向でとか、いう風に言ってるわけですけども、原田元館長さんがおっしゃるように、核兵器の使用にどんな意味があったのか、なぜ市民に使ったのか。ここが曖昧のままで反省もないままでは、決してアメリカという国家原爆を投下した国家と和解はできないし、核兵器廃絶という目標で未来を共有することはできませんね。

もちろん、平和を願い、核兵器廃絶を願う、あるいはその願いを共有できる可能性のある市民とは、アメリカも日本もありません。それこそ未来志向で現状を確認し、どのようにして、核兵器廃絶を進めていくのか、どのようにしてそれぞれの国家を動かしていくのか市民の力でね、一緒に取り組めるようにしていく。これは、必要であり、極めて大事なことだという風に思います。

しかし今回、市長が協定を結んだのは、先ほど指摘したこと、曖昧にしたままで反省もない。アメリカという国家ですよ。打診してきたのは、この際G7があった。この際だから、G7があるから、この際に姉妹公園協定結んだら結ぼうと思うかどうかという風に言ってこられたんでしょう。それはアメリカの国家の代表の1人である領事館ですよ、領事館。領事ですよ。そして実際に、市長が承認をされたのは、これは相手は、アメリカの国家の代表である大使ですよ。これはね、だからアメリカという国家と姉妹公園協定姉妹協定を結んだということになるんですよ、これは。棚上げにするわけにはいかない問題なんですよ。そして相手の記念施設、そもそもの設立の目的が違うという風に思っています。こういう風に様々な問題があるのに、市長の判断だけで勝手に姉妹公園協定を調印してしまった。

本会議で指摘したように、広島市の平和記念公園ってのはこれは市長の持ち物じゃありません。考えていただきたいのは、被爆者の皆さんが焼け野原になって、草木も生えないと言われた広島の町の復興に、懸命に取り組み、たくさんの方々と一緒に被爆者に必要な医療と生活の手段を求める運動を進め、不十分なものですけれども、被爆者援護法が実現し、海外におられる被爆者まで対象にするなどの改善も進めてきました。

並行して、二度と同じことが起きてはならない、そういう思いから、核兵器廃絶を求める運動が営々と続けられてきた。そして、本日の核兵器禁止条約の発効にまでこぎつけてきた。広島の平和記念公園、平和記念資料館を始めとした施設が、本日の姿になっているのは、被爆者の皆さんや、一緒に運動に取り組んでこられた多くの人々の力によるものですよ。一番大事な、こういう市民に相談することもせずに、あたかも市長の持ち物であるかのように、松井市長1人の判断で勝手に反省のないアメリカ国家が運営する、そもそも設置の目的も違う施設と姉妹公園協定を結んでいいのかという風に私は強く思いますが、この点について、改めてあなた方のお考えをお聞きします。

国際化推進課長:
今回の協定は、姉妹都市となっているホノルル市と60年以上にわたり、市民同士が交流を深めてきたこと。さらには、「迎える平和」の取り組みを10年以上にわたり続けてきていることなどを踏まえつつ、議会に対して、過去の悲しみを耐え、憎しみを乗り越え、未来志向で平和と和解の架け橋の役割を果たしていくことになると説明した上で、両公園の共通の目的のもとで、協定を結んだものです。以上でございます。

中森議員:
先ほどホノルル市との姉妹都市協定、姉妹都市っていうのがありましたけれども、私は姉妹姉妹都市、あるいは今回協定ということなんですけども、そういうふうなことであるなら、このホノルル市という、国家ではない。自治体との、あるいはそこの市民とのやっぱりあの交流をどんどん進めていく。そのために、姉妹都市協定、こういうものがあるんだという風に思うんですよね。それでいいじゃないかと思うんですよ。なぜあえてアメリカという国が運営している、しかも、パールハーバーというのは、日本が戦争を始めた。そういうことを象徴するような、事件のあった場所なんですけども。そういうそれに対して、いかにアメリカの兵士が、関わり頑張って戦って勝利を収めたか。そのためにそれをやっぱり象徴する施設として作られたんですよねそもそも。

そういうところと、そのわざわざホノルル市の、その姉妹公園協定とは別にですね、姉妹協定とは別に、わざわざそういう協定を新たに結ばなくてはならなかったのか。その辺がね、非常に不透明です。未だに。以前にホノルル県人会から姉妹公園協定の要請があった際断った。先ほども質問があったんですが、それはなぜかということを改めて明確にお答えください。

国際化推進課長:
当時は平和の機運の醸成を図りながら時間をかけて検討していく必要があると判断したものでございます。以上でございます。

中森議員:
その当時は、こういうふうな協定をやるようなタイミングではない、そういう判断があったということだと思います。しかし当時そういうことがあったということをですね、市民に知らせました? そんなこと私は聞いてないですね。これはとても広島の世論が許さないだろうと、そういう判断があって、断ったし、しかし、さらに市民にも知らせることもなかったということじゃないかなと思うんです。しかし今回は、協定を結んだ。

しかも、市長の独断で、それは、G7サミットが実施され、市町も含めて盛んに成功だったということをアピールしていた。そういう流れ、そういう考えのもとで、今なら世論の了解は要らないという判断だった。市長が独断でこれを決めて、調印してしまったのはそういう判断だったということじゃないかと思いますが、この点はどうなんですか。

国際化推進課長:
広島ビジョンについては、その中で、広島および長崎で目にすることができる核兵器使用の実相への理解を高め、持続させるために、世界中の他の指導者、若者および人々が、広島および長崎を訪問することを促すとされたことでこれまでの本市の「迎える平和」が認知されたものと評価しています。本協定については、目的に記しているように、過去から学び、未来の新たな考えを共有し、多くの人に訪れてもらうことで、公園の重要性を理解してもらうという共通の理想達成を達成するということが、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという、多くの人々の訴えに沿ったものだと考えています。さらに本協定の締結は、「平和文化」を市民社会に根づかせるための重要な一歩になるものと確信しています。以上でございます。

中森議員:
それはあなたが今はそういう風に答弁しておられるけれども、これ市長が決めたことでしょ。結局、市の職員としてそれを後付けるということを言っていらっしゃるんだと思いますけれども。問題はですね、実際に市民の意見を聞くどころか、わずか1週間前に協定締結するよっていうことを市民と議会に知らせた。議会もですよ。これはいつものことだけれども、決まったこととして発表したわけですよ。議会では一般質問で、この市長がいるところで直接、この問題で質問することができないタイミングだったわけですね、この発表は。市民もこの問題でまとまった形で、市に意見を述べる機会はありませんでした。私は唯一、29日の総務委員会で、前回ですね、この問題を取り上げましたけれども、この日は市長がもう東京のアメリカ大使館に出向いて調印する日だったわけですよ。いくらこの場で議論したってもう市長は言って調印するようなことになってた。

議論の余地がない。そういう状況の中で、これが行われたということは、本当に重大な問題だという風に思うんです。広島市民の平和公園なのに、主権者である広島市とともに、復興と核兵器禁止条約は実現するところまで頑張ってきた市民にも、その代表機関である市議会にも、この重大問題について意見を聞く場を設けることもなく、独断で調印を決めて調印してしまった。民主主義ってものは、この広島市にはないのか。広島市の行政にも、広島市という行政は、市長は、議会に対して、この重大問題の意見を聞こうという態度を示すことをしないほど傲慢になったのか。私は思いますよ。広島市には民主主義はもうなくなってしまったんでしょうか?

国際化推進課長:
先ほども答弁した通り、このたびの姉妹公園協定は、本市として和解の精神を重視した対応すべき時期に来ていると判断し、戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考えを双方で共有しうる機会を逃すことなく大切にすることにしたものです。このたびの姉妹公園協定に対して、早急すぎるといった意見があるのは承知しておりますが、今後、本協定に基づいて、未来志向の取り組みを両公園で検討し、次世代を担う若者を中心とする交流を深め、和解の精神を具現化した交流の好事例として世界に発信することで、市民や議会の多くの賛意や関係する声にしっかりと応えていきたいと考えています。以上です。

中森議員:
決めたのは市長です。で、それを決めるにあたって、この広島市の主権者である。そしてこの広島の街を作っていけた。そして、もっと言えば、この広島の今日ですね復興させてきた主体者である被爆者。広島の復興を進めてきたこの被爆者の皆さんですよ。わかってます? 市長じゃないんですよ。どうやって被爆者の皆さんが今のような町にまで復興させてきたか。大変な苦労しながら、悔しい思いもしながらやってきたわけじゃないですか。乏しい国の制度。アメリカの補償もしない。そういう中で、国に対して、国が補償しろよと。言っていろんな制度も求めてきた。それは誰か。被爆者の皆さんですよ。そしてそれを支援してきた周りの市民や大勢の人々ですよ。この一番肝心の市民ですね。何の相談もなく、私はこの島公園協定というのも、ホノルルの県人会が最初てこられたという話ですけども。

このタイミングで、わざわざアメリカの国家の国の代表者の1人が、この姉妹公園協定なるものを打診してきた。その意図がどこにあったのかってのは全く明らかにされていません。アメリカという国は、先ほども繰り返し指摘したようにですね、未だに広島に原爆を投下した。そしてその後、その世界中に核兵器が拡散した、そういうことも含めた責任ということを認めてはいませんよ。アメリカの大統領は、できればあの、被爆の実相、大統領に見せたくない、そういうふうな思惑があったんじゃないかというふうなことも噂ですけれども、言われております。

それぐらいですね。アメリカという国はこの核兵器の問題に関して、そして、広島に原爆を投下した責任ということに対しては、頑固に曖昧にしたままなんですよ。私はアメリカの国民、ホノルルの市民も含めて、大いに交流したらいいと思います。だけども、国ということが絡んでくるとですね、やっぱり結局そのアメリカの投下責任、そういうものを曖昧にしたままにやっていこうとしてるんじゃないか。ここが曖昧なままだとですね。核兵器つまり核兵器を使ってあんなひどい事態になったということは反省しないからこそ、核兵器はまだ必要なんだということを言ってるわけですから。

その責任を認めないということと、核兵器を持ち続ける核抑止論に固執し続ける。これは表裏一体です。そういうことを棚上げにするわけにいかないというのは当たり前のことじゃないですか。だから、元館長の原田浩さんも、うやむやのままだという風に、あえておっしゃったわけですよ。

そういう問題があるにもかかわらず、議会にさえも質問する機会さえ与えない。どういうことですかこれは。被爆者の皆さんにも、ちゃんと相談するべきじゃないですか。こんな仕様の勝手な行動は絶対に許されません。私は、これは撤回すべきだということをあえて申し上げたいと思います。この問題は、このままでは終わらせるつもりはありませんので、また、引き続き、皆さんとやり取りをしていただき、していきたいという風に思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?