初ラジオ

 お久しぶりです、町田です。
 二月も終わりですね、などと前回書いてましたが、もう5月ですって、5月! しかもゴールデンウィークも終わってんの! 信じらんないわよね、奥さん!
 コロナに振り回されていたからエッセイの存在を忘れてたっていうか……うん、すっかり忘れてた。もしこの過疎エッセイを読んでくださってるうえに、ちょっとは楽しみにしているという奇特……げふげふ、親切な方がもしいたならば、本当に申し訳ない。わたしという存在を忘れられないためにも、月イチ更新を目指していこうと思う。

 さて、本題。初ガツオみたいなタイトルだが、先日はじめてラジオ出演(電話出演)というものを経験した。先月の22日に中央公論新社さまより『52ヘルツのクジラたち』という初めての長編を刊行させていただいたのだけれど、その本が縁でお声がけがあったのだ。わたしは九州在住だが、依頼をくださったのは青森ラジオ。青森ということは間違っても知り合いに聴かれることはないし(最重要項)、はじめての経験をしてみたかったので喜んでお受けさせていただいた。
 しかし、問題がひとつ。わたしは大層な口下手なのだった。無口であればまだ可愛いのだけれど、脱線しまくりで、しかも脱線に気付かずマシンガンのようにしゃべり倒すおばかタイプ。その結果、『あれ、そもそもこんな話だったっけ』『結局何が言いたかったんだっけ』ということがしょっちゅう。ニワトリみたいな記憶力とイノシシみたいな過去を振り返らない気質がゆえに、本題にたどり着かないまま終わることが多々あるのだった。多々あるのだった、ってドヤ顔で書くことではないが。
 まがりなりにも作家として出演するわけだし、アホだとバレないようにしなくてはいけない。前もって簡単な質問事項を教えていただいていたので、それを元に原稿を書いた。そしてそれを何度も読み込み、お風呂でひとりイメトレも繰り返した。
 そして充分な練習を繰り返して当日を迎えたのだったが、緊張しいなわたしは電話を握りしめて『逃げたい』と考えていた。景気づけに、ビールの一本でもひっかけておこうかと思ったりもしたが、なけなしの理性で耐えた。
 そして結果だが、原稿もイメトレもあまり意味がなかった。電話が繋がったとたん、頭が真っ白になってしまったのだ。握りしめていた原稿の文字も頭に入ってこない。わたしは人前にでると言葉が詰まってしまうのだが、言葉が消えた経験ははじめてだった。頭ってあんなに空っぽになるんだなぁ……。
 まず、『コロナで生活はどう変わりましたか』と訊かれた。えっと、ビールを飲む量がめちゃくちゃ増えて、現在人生最大の数値を記録しておりますとか、無人島開発(どうぶつの森)が捗って捗って、とかそういうことを言えばいいのだろうか。ビール飲みながらゲームするので、アテは乾き物が便利です、とか。いやそんなんダメに決まってるだろ。そんなことを瞬時に考えて、わたしは家での特筆することのない日常をぺろぺろと語ってしまった。子どもに料理を教えているとか、編み物をしているとか、そういうの。田舎のおばちゃんの日常。なんでわたしの引き出しにはそんなものしかはいってないのだ。
 こういう質問の返しに人柄がでると思うのだが、わたしはそれでいくとシャレオツな人間に擬態すらできない。ヨガをやっていますとか、タルトタタンを焼きましたとか、そういうことをさらっと答えられないのだ。やったことも作ったこともないもん。白玉団子とか茹でてるもん。
 ちなみに原稿には、『SNSやニュースをなるべくみないようにしています。心穏やかにして家族に接したいので』と書いてあった。なるほどね……へえ……。
 パーソナリティーの方はさすがで、わたしのような者のまとまりのない話を丁寧に聞いてくれて、そして本のオススメまでしてくださった。とても良かったですと言われて、心がほぐれていくのがわかった。緊張のあまり声が震えることもあったけれど、終わってみればなんと楽しく貴重な経験をさせてもらったのかとありがたいばかりだった。
 コロナで引きこもっていても世界に繋がれるし、この年になってもまだまだ初体験できるのだねえ、と電話を切ってからじわじわと感動した。こんなときだけど、素晴らしい時代に元気で生きていられてありがたいよね。そう言いながらビールをぐいぐい飲んだ。最高のアテだった。

 さいごに。
 『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)が4月22日に刊行されました。とてもとても素敵な、クジラが揺蕩う濃紺の表紙と凪良ゆうさんの帯分が目印です。
 世の中に泳ぎ出たこの本がたくさんのひとに愛されますように。応援してくださったらしあわせです。
 ではまた6月に!必ず会おう!必ず……

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