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人は他人に興味がない—35過ぎて私の思うこと。

 「人の目が気になる」という言葉がある。他人からの視線が気になる、どう見られているか気になるということ。20代後半くらいまでは、自分も「私のこの言動、格好は他人からどう見られるか、どう思われるか」という視点で考えることが多かった。

 例えば、会社員だった頃「今日の仕事は終わっていて、このあと用事がある。でも、先輩より先に帰るとどう思われるか。あまり良く思われないのではないか。帰りにくい……」。もっとどうでもいいものだと「今日、上まぶたが荒れているからアイメイクはやめておこう。でも、目のまわりがすっぴんだと恥ずかしい。まあ、仕方ないか……」。どうでもよすぎるにもほどがある、実にくだらない話だけれど、こんな具合だ。

 ただ、歳を重ねていくと、他人は自分を見ていない、他人は他人にさほど関心がないことに気づく。確かに、他人がその言動や格好を目に入れたら、一瞬くらいは意識することになるかもしれない。先の例だと「この子、帰るの早いな。仕事してんのかな?」「今日この子地味。ノーメイク?」なんて風に。アイメイクをしていないことに気づく人は、私という人間またはアイメイクに関心の高い人だと思うけれど、近距離でまじまじと見つめられない限り、そもそも気づかれないだろう。

 大前提として、人間の脳内を流れるトピックは目まぐるしく移り替わる。関心事は流れていく。トピックはストックされるのではなく、フロー状態にある。みんな、それぞれの生活があってそれぞれに忙しくしているわけで。他人のどうでもいいことなど、いつまでも構っている暇なんかないのだ。特に大好きな人や愛している人、大事にしている人でもない限り、その人を思うこと、考えることに時間を費やすことはない。自分(や家族)がどう生きるか、で精一杯だし、そこに関心の多くを向けているはずだから。

 コロナ騒動から3年目を迎えた2022年度、「マスクを外す時期」に関する話題が増えた。屋内では嫌々つけていたものの、昨年11月からマスクをしなくなった自分としては、いつでも外せばいいと考えているし、マスクに関するnoteも書いている。ただ、報道を見ていると、マスクを外すことについて「人目が気になる」「人からどう見られるか」との声をよく目にする。

 他人の視線を主な理由として、マスクを装着し続けるのは、苦しい生き方を選んでいるなあと感じるけれど、それはそれでその人の個性だろう。各人が好きなようにすべきとは思うけれど、そういう発言をする人に「他人はあなたに興味がない」ということは知ってほしい。自分は見知らぬ他人の姿形を真剣に見ているか、見知らぬ他人に興味関心があるかと、まずは考えてみるといいと思う。

 確かに素顔で歩いていると、視線の方向のみならず顔の方向まで変えてくる、分かりやすい反応をしてくる人もいる。今までいろいろな表情を見てきた。マスク越しだから顔の下半分はどうなっているか知る由もないけれど、驚いたり睨んだり、物珍しげにじっと見たりと人それぞれ。主な反応はその3種類だから、こちらを見てくる人の顔をチェックするのはやめた。代わりに、すれ違う人の全身や利き手と思われる手など「全体像」を視界に入れて、万一危害を加えられそうになっても護身できる距離感を確保するようにしている。

 少々物騒な話になってしまったけれど、何が言いたかったかというと、他人は一瞬こちらの顔を見てくるかもしれない。ただ、次の瞬間には他人はすれ違った人のことなんて忘れて、前を向いて別の何かを視界に入れている。あるいは、ずっと掌にあるスマホを見つめながら歩いて、目の前の人やモノ、コトに興味を持たない人もいる。

 すべての人にそれぞれの人生がある。そこそこの知人だけでなく、知らない他人に関心を持つ暇なんてない。自分だってそうじゃない? そう考えると、人の目を気にして自分を押さえつけ、やりたいことを我慢するのはもったいないと思えないだろうか。人生は一回だけで、この瞬間は今しかないのだから。

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