大事な人の幸せを願って「終わり」を選ぶ。
大事な人の幸せを願う。その人の幸せが、私と一緒にいても叶わないなら、潔く身を引きたい。むしろ、そこにとどまり続けることで、大事な人の人生を損ねるのは、私にとって不幸せなことでもある。
違う人間同士、価値観や考え方の違いはあって当たり前。無理に寄せる必要はなく、違いを認めて生きていく方法もある。ただ、相手に対し「いつかは変わるはず」と、根拠もないのに期待する「待つ側」は、しんどさを抱えることになる。
一方、「この人は変わるだろう」と望まれる側も、しんどくないことはない。「人(の本質)は変わらない」という考えが根づいている私は、変わることを待たれると、なんだか申し訳ない気持ちになる。
人生は長いようで短い。ほら、極端な話、2月なんて瞬きしてる間に過ぎ去ったし、時の流れの速さに驚いてばかりではありませんか。
「私の本質は変わらないよ?」
だから、頑固な私が変わるのを待っている間に、あなたは素晴らしい機会を逃してしまうかもしれないし、結局「変わらなかった」と後でガッカリしてしまうのも、かけた時間がもったいない。だから、あのさ……。
「いま、一緒にいて楽しい。ハッピー。だけど、1年後、2年後のあなたは、私と一緒にいて、理想の状態になっていると思う? 自分の願望を押し殺して、我慢し続けてないかな?」
そう問いたくなるとき、あるいは実際に問いかけてしまうとき(「あなたは本当にそれでいいんですか?」と確認せずにはいられない)、補足する。
「あなたは私にとって大事な人だから、あなたが心から求める幸せを手にしてほしい☺️」
「その幸せを一緒に掴める相手は、あなたにとって私じゃないかもしれない😌」
「だから、素直な気持ちで考えてみてほしい😇」
こんなふうに伝えると、相手はたいてい戸惑う。
「別れ話をされているみたい😢」
「距離を置こうとしてない?😂」
「嫌われようとしている?😭」
そう言いながら、困ったような表情を向けられるのが常。そんな反応が来ることを予想しているから、真面目に話しながらも、できるだけ穏やかに笑顔で伝える。
「してないよ。嫌われようとか、好かれようとか狙って行動してないよ。私を嫌うも好きでいるのも(あなたの)自由だから」
大事な人には、意味のある時間を過ごしてほしいし、(本音の)幸せを獲得してほしい。ただ、それだけを思っている。
離れる理由
この考え方は、29歳での離婚がけっこう影響している。自分は相手と一緒にいたい、やり直せると思い込み、執着していたけれど、相手の気持ちは完全に離れていた。無謀な期待は打ち砕かれることになる。
諦めて、「もう元通りになるのは無理なんだ」と察してからは、自ら「コンビ解散」を提案し、相手を縛り付けるのをやめた。
「大事な人が私と一緒にいることで、彼が理想とする人生を送れていない。それは気の毒なこと。だから離れることにしよう」
当時はそう考えていた。
今は少し違う。大事な人が幸せではない状態は、自分にとっても幸せではない。
「大事な人が私と一緒にいることで、彼が理想とする人生を送れない可能性がある。そんな彼をそばで見ていると、私も幸せではない。お互いにとって良くない。だから……」
終わりと向き合うのは苦しい。そんなことは経験でわかっている。辛さを癒してくれるのは時間しかない、ということも。
だけど、終わりがあれば、始まりがある。終わりは悲しいだけのものじゃない、と知ることも救いになる。
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