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「いやな私」も丸ごと受け入れてくれるパートナーが大好き。

自慢のパートナーがいる。懐が深く、器が大きく、私のことを大事に想う言動に溢れていて、「私はなんて幸せな人間なんだろう」と、本人に対してはもちろん、出会いのきっかけとなったヒト・コトに感謝しかない。

そんな大切なパートナーを傷つけてしまったことがある。詳しくは書かないけれど、簡単に言うと、キツい言葉で指摘したり、「それは逃げじゃない? 向き合って話し合おうよ」と責めたりした。

数十分にも満たない短い時間に、ボールを投げつけた。

少し落ち着いたタイミングで、「さっき、どうして向き合おうとしなかったの」と、できるだけ穏やかに“続き”を始めたら、彼は悲しげな顔をして、涙をぽろぽろとこぼした。くるんとしたまつげが寂しげに上下した。

男性の涙を見るのには慣れている。昔から、男性を泣かしてしまう度に、心の奥深くでゾクッとしたものを感じる私がいる。意識せずとも、こういう展開になることは時々あった。

ただ、辛い思いをしてほしくない人に、辛い気持ちを味わわせてしまったことに動揺して、彼をかるく抱きしめて話を引き出してみると、私は自分が刺々しい言葉と態度でものを言っていたことに気づいた。

その日は「もっと柔らかい言い方をするね」と伝えて終わった。

数日後。彼と通話しているとき、話の流れでふと「あのとき、どうして涙を流したの?」と尋ねた。

「園子さんを嫌な気持ちにさせたくなくて、なんて伝えればいいのかと、言葉を選ぼうとすると難しく感じてしまって……(涙が出た)」

彼は私がどんな質問をしても答えようとする。数日前に泣いた理由を聞いても言語化を試みようとするくらいだから。

こんな人はなかなかいない。カッコつける人はたくさん見てきたけれど、スマートではない部分(弱い自分とか人生における失敗とか)を躊躇なくさらけ出す。その誠実さも惹かれるところのひとつだ。

最愛の人と向き合うとき、素敵な自分でありたいと思っている。でも、それはなかなか叶わない。むしろ、自分の不完全なところや器の小ささが見えて、いやだなあと感じることがある。

彼は特別に親しい人だから大事にしたいし、大事にしているつもりだけれど、慣れ親しむ中で油断してしまう未熟さが私にはある。

一方で、パートナーと共に生きる中で、自分の弱点や直すべきところに目がいくこと、そんな微妙な部分を持っている私をパートナーが丸ごと愛してくれているのに気づくこと——これらは彼がいないとなし得ないことであり、なんともありがたいことだなとも思うのだ。

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