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僕があの時、出来なかったことを。

おはようございます。こんにちは。
こんばんは。
そして、初めましての方は、はじめまして。
数ある中から僕のnoteを見つけて下さり、ありがとうございます。

今日は、頭痛と吐き気が酷くお仕事を休んでしまいました。
頭痛と吐き気で休むなんて甘ったれたことを言うんじゃない!と喝を入れる自分がいたのですが、聞こえていないフリをして家事をしていました。

気圧、梅雨、真夏のような暑さ、労働のクアドラプルコンボで心身ともに傷だらけじゃよ。ということで、もうちょっと自分を労う時間を確保しようかなぁなんて思っています。

ご自愛しまくります!

今日はこんなことを書こうかな。

最近、調子どう?

復帰をして(アルバイトだけど)、5か月目になろうとしてます。
5ヶ月目になってくると、社員だったころの業務を思い出してきました。
それもあって、気持ちはバリバリ働くぞモードに。

いかんいかん、と思いながら「ちょっとずつでいいのよ」と自分に言い聞かせながらぼちぼち働いています。

僕にできることは、このくらい。

たまに自分の過去の投稿を見返しに行くのですが、この頃は自分のなかでの当たり前に過ごすというのが難しかった時期だったなぁと思い出しながら読みました。

「みんなしているから、僕がやる意味なんてない」と思っていたけれど最近になって徐々にそんなことはないんじゃないかなって思う。
僕は、珈琲で僕なりの表現、伝え方がある。

そして、5月に珈琲販売をやってみたとき想像以上に見てくれている人、応援してくれている人がいてとても背中を押された。
あの瞬間は、何度も言うけれど忘れられないです。

でも、6月に珈琲販売を継続してやろうかなと思っていたけどただ販売するというのがとても消費的な行為に感じてしまい立ち止まってしまっていました。

そこから、珈琲販売は継続的に行いつつ、何か誰かの為になにか出来ないかとずっと考えているとやっぱり僕は、カフェ・ソスペーゾやってみるしかないという結論に至りました。

見返りを求めず、誰かの為に。

カフェ・ソスペーゾとは。

第二次世界大戦中のイタリアでは経済的なダメージも大きく、多くの人が仕事を失くし、低賃金で長時間の労働が課せられていました。もちろんナポリも例外なく、たくさんの人が路頭に迷っていたといいます。

そんな中に生まれたカフェソスペーゾは、お金に余裕のある人が少しでも貧しい人が幸せな気持ちになれるように、前向きな気持ちで一日を迎えられるようにとの思いで始められたもので、レジでカフェを注文する際に、自分が飲むカフェの他に「もう一杯のカフェ」の代金を支払っていきました。

ナポリ発祥!世界から称賛される「カフェソスペーゾ」とは から引用

僕は、そこまでお金に余裕がある訳ではないです。しかし、あの頃(適応障害だったとき)の僕はカフェ・ソスペーゾをやっているお店があればいいのになと思っていたからです。

どういうことかというと、あの時の僕には人との関わりと救いを求めていたということ。

お金を気にしすぎてどこにも行けずいつも家で少しでも気持ちが明るくなるようにおうち喫茶をしていました。
でも、珈琲豆を買うのはスーパーか無印良品。
気になる珈琲を手に取りレジでお金払って、持って帰って一人で珈琲を淹れる。その瞬間がとても悲しく寂しかった。

美味しい珈琲屋さんに行きたかったけれど、一杯の価格、珈琲豆の価格がどうも僕には手が出せなかった。あと、リアルでの接客に対して怯える自分もいました。

「人との関わりと救いを求めていた」ってさっき言ったけれど、当時の僕は色んな感情でグチャグチャだったもので。
今思うと、誰でもいいから話を聞いて欲しいって感じだった気がします。

見返りを求めない場。

ということで、辛いなぁ、休み方が分からないよぉ、しんどいなぁ、美味しい珈琲飲みたいけどお金が…ちょっと話きいてよ~ってなっている人、月1,2人に珈琲豆(粉or豆)を無償でお裾分け(お届け)しようかなと企んでいます。

InstagramやTwitter、threadsのどこかで告知しようかなと思っていたのですが、ちょっと違うなと思いどうしようか悩んでいたところ最近知り合った方から「Bluesky」というアプリの存在を教えてもらい「これだ!」となりました。

昔のTwitterみたいでとても良さげです。
インプゾンビと言われるやつもいなさそうだし、炎上系も煽り投稿(○○がやばい)みたいなのもあまりなさそうなので。

ここで、カフェ・ソスペーゾの告知をしようかなと思っています。
というのもカフェ・ソスペーゾをする際にパスワードを知らないとショップに入れないようにという考えがあり。

もしよろしければ、フォローしてもらえたら幸いです。
(覗きにくるだけでも)

おいでーおいでー寄っておいでー。

このnoteから誰かの人生の手掛かりになるような時がくることを僕は願っています。

拙い文でしたが最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。
明日は、来週は、一か月後は、半年後は、来年の将来の僕はどうなっているのでしょう。

では、では、また近々。

22時57分. その日

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