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#29【願うゴリラ】~妻が不妊だったゴリラ~

私の中のゴリラ

百獣の王という称号は、大人のライオンに限って与えられる。
それがわかっていたから、可能な限り、母ライオンは子ライオンの近くを離れなかった。
しかし今、母ライオンは子ども達を置いて狩りに出かけようとしている。

最後の食事をしてから、今日で一週間が経過しようとしていた。
空腹を我慢するのも、もう限界だ。
子ども達を守るために餓死するなど、馬鹿な話は無い。

それはそうだろう。
俺もそう思う。

ゴリラの中の私

妻はもっと早く分かっていたはずだ。
子供を持つためには、卵子提供を受けるしかないということを。

そして、そのことは私も薄々感じてはいた。
一緒に暮らしているのだ。
不妊治療が順調に進んでいないことくらいは察していた。

「子供をつくりたい。そのために卵子提供を受けてほしい。」

私がこう言えば、妻はもっと早く卵子提供という結論にたどり着いていたのかもしれない。
しかし、私は言わなかった。

それは、妻の強い意志を確認したいという、私の考えがあったからだ。

私は、自分の人生において「絶対に子供が欲しい」とは思っていない。
「それゆえに」子供を持ったあとに、後悔することが無いとも思っていた。

妻はどうなのだろう。
これまでずっと不妊治療を続けてきたのだ。
私よりも数倍、数十倍も子供に対する思いは強いのだろう。
「それゆえに」私は卵子提供によって子供を持つことに一抹の不安を覚えていた。

私は、人生が常にうまく進むなどとは思っていない。
それは、自身の子供に対しても同じことが言える。
人一倍苦労してできた子供が、自分たちの思った通りに育たない可能性は十分ある。
むしろその可能性の方が高いと考えている。

知的・身体的な障害を持って生まれることもある。
障害を持っていなくても、他の子供より知的・身体的に劣っていることもある。
親を嫌うこともあるし、非行に走ることもある。
子供が犯罪者になる可能性だってある。

もちろん私も、そうなってほしくないと願い育てるだろうが、結果は分からない。
私はそういう結果になったとしても、それは子供の人生だと考えている。
子供の人生とは異なる自分自身の人生に、失望することは無い。

妻はどうなのだろう。
私は心配だった。
卵子提供まで受けてできた待望の子供が、自分の理想と違った時に失望しないだろうか。
ましてや、卵子提供の場合、妻と子は遺伝的にはつながっていないのだ。

そのため、少なくとも妻の意志の強さを確認したいと思った。
少なくとも、私の意見に反対するくらいの強い意志を。

私は、これは妻のためでもあると思っていた。
しかし、本当に妻のためだったのだろうか。

妻の8年間は戻らない。

明確にわかる事実は、これだけだ。

私の中のゴリラ

その母ライオンは子ども達を失った。
狩りから戻ると、そこに子どもの姿は無かった。
ハイエナだろう。
百獣の王といえども、子どもは単なる捕食対象にすぎない。

俺は、その母ライオンがミスなど犯していないことを知っていた。

これは自然の摂理だ。
後悔する必要などない。

しかし俺には、それが難しいということが何故かわかった。



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