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【読書記録】縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望

日本の未来を考えるとき、僕はしばしば「縮充」という言葉を使う。本来は繊維の加工に関する用語たが、人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていくしくみを僕らは編み出さなければならない時期を迎えている。そのしくみこそが、これからの日本のサイズに合った衣装であり、衣装を仕立てるために不可欠な力が市民の「参加」だと感じている。

p.17より引用

私は、岡山県の瀬戸内市役所で働いています。

現在は危機管理課に所属し、主に防災対策を担当していますが、地域でお互いに助け合う「共助」の仕組みづくりについて取り組みを進める中で、人口減少や高齢化によって地域の活力が失われつつあることを肌で感じています。

今後、あらゆる「縮小」が加速する日本において、人々が豊かに暮らしていくにはどうすればいいか、「公務員としてどんなことができるだろう」と考える中で知ったのが本書です。

山崎亮/著『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(PHP新書)

本書は、著者の山崎氏による、まちづくり、政治・行政、環境、情報、商業、芸術、医療・福祉、教育、の8つの分野において活躍されている方へのインタビューを通して、今後の日本社会の「"あるべき姿"を考えてもらうこと」を目的として書かれています。

山崎氏は『参加なくして未来なし』といい、縮充する時代においては、「学び」というインプットと「活動」というアウトプットを、市民自らが常に繰り返している状態こそ意味があるといいます。



最近、「協働」について考える機会がありました。

僕は、「行政が地域の課題を素直に提示し、課題解決に向けて住民と一緒に考え合うこと」が協働ではないかと思っています。

「活動」というアウトプットを促進することだけではなく、「学び」というインプットの部分を設計し、ときに行政も学び合いながら、課題解決に向かっていくプロセスを「共に楽しむ」こと。

協働は「行政が解決できていない仕事を、住民に下請けとして出す」ことでもないし、「既にある住民の活動(サークル活動のようなものも含む)にお金をつけて、より手厚くサポートすること」でもないのではないかと思います。

「住民が参加する」ということは、その場を設定するのも僕たち行政の仕事であり、「主体的」という言葉を都合よく使って野放しにしてしまわないようにしなければならないのだと改めて感じました。

公務員として働くうえでの心構えについて、より深めることができる一冊でした。

【お気に入りメモ】
領域の垣根を取り払って、優秀な人材を組み合わせるだけで、「協働が進む」と言えるだろうか。自分のことに置き換えて考えてみた。コミュニティデザインのプロジェクトも協働で取り組む。行政からの発注であれば、行政職員と一緒に進めていく。そのときに、全くやる気のない職員が担当だったら、僕もつまらないと感じてしまうだろう。そういう人間の感情が、協働の現場ではとても大事になってくる。
「この人と一緒にやりたい」と相手に思ってもらえること。「これを一緒にやろう」と自分から働きかけていくこと。コミュニケーションの技術や、共感を得る力や、責任感や、道徳心など、いろいろな能力が関わってくる。
「キャラクター」と言ってしまえばそれまでだ。読者のキャラのことまで考えて「協働」を演じる人はいなかったのだろう。高い専門性と同じくらい、ひょっとしたらそれ以上に、「一緒に何かをやりたい」と相手に思わせる力が協働の時代には求められてくる。そこは表層のように見えながら、じつは本質的なことだと感じるのである。

p.418より引用

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