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ストレスばかりを悪い子にしないで

ストレスをどこにぶつけるか問題にぶち当たる。誰だってもちろん自分が一番可愛い。それは当然の権利というか、当たり前というか、私もそうありたいものだと思うくらいには必要なことだと思ってる。

自分を大切にしたい気持ちはあるのに、私のストレスは私を攻撃する。内側に向かってくる。溜め込んで自分の好きな自分ではなくなっていく。

かといって、この気持ちは人に向けていいものだろうか?

近頃は、「病んでいる」とまでは行かなくても、仕事関係の飲みの場では職場の愚痴を避けては通れない。それくらいには皆不満を持っているということ。仕事の嫌な話、特定の誰かの嫌な話、一瞬なら合わせよう。私も大人だ。

でも、ちょっと毎回すぎない?もう少し楽しい話しない?と思う。その場が逆に私のストレスになる。多分、職場の人と私との埋まらない距離だ。彼らは良い人だけれど、友達ではない。その場にいない、特定の誰かの「良くない」話で盛り上がるとき、私はとても憂鬱な気持ちになる。

それをまた、他の人に言うと同じことの繰り返しになるかもしれない。ちょっとでも、良い話がしたいよね。と私の中のストレスは言う。愚痴で発散するタイプの人もいれば、他のすてきな話+愚痴少々がちょうどいい人もいる。物欲や食欲に現れる人、創作意欲に現れる人もいる。それぞれの心がある。

私のストレスは、愚痴大会ではさらに悪化するらしいので。そこは誰が悪いわけでもなく、自衛しかない。なので皆のストレスが一旦落ち着くまでは飲み会を控えることにした。

ストレスばかりを悪い子にしないで。

人と触れ合って生活している限り切り離せないもので、その人の尺度でしか測れないもの。自分がこうだからといって、相手のストレスが同じとは限らない。まず自分の中身と相談してみる方がやさしいと思う。いつも頑張ってえらいねって、人にも言ってほしいけど、自分自身にも言ってあげたいよね。

いつも頑張ってる皆様へ。あんたえらいよ。

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