出会った人たちの良心で自分はできていると思える幸せ-「水車小屋のネネ」
津村記久子最新刊の「水車小屋のネネ」、とてもよかった。
タイトルや可愛い表紙と挿絵は児童書のようで、内容もほんわかしたものなのだろうと思われそうだけれど。
書いてるのがクールな津村記久子なので、甘くてラブリーなおはなしではない。
ネグレクト、貧困、いじめ、家庭内の問題、消えてしまいたいほどの絶望感、マイノリティ、震災、コロナ禍など重い話が40年の長い物語の中で顔を出す。
でも、読後感はあくまでも爽やかで幸せな気持ちになった。厚みはあるけれど、小学校高学年にも薦めたい。
40年というけっこうな時間を経る物語で、当然人もヨウムも成長し老いていき、出会いもあれば別れもあるが、ものすごく劇的な事は起きず、乾いた筆致で淡々と日々は過ぎていく。
でも、退屈することなく「この後どうなるの?」と集中力が切れずに一気に読んでしまった。
理佐と律姉妹、普通に考えれば悲惨な状況にあるのに悲壮感を漂わせず、くさらず、しっかり前を向いて生きているのが凛々しい。そして二人を見守る周囲の人々がまたすばらしい。
物語全体を貫いているのは、苦しく酷い状況にある時にそっと寄り添い見守ってくれる人はどこかにちゃんといる、ということ。
血縁や家族じゃなくても、人はつながっていられる。
親ガチャとか子どもの貧困とか、生まれた環境で将来が決まってしまうみたいな風潮があるけれど、助けを求めることは全然恥ずかしいことじゃない。絶望してはいけない。
ってことなのではないか。
姉妹の周囲の人たち、そして成長した姉妹も、それぞれができる範囲で、押し付けない優しさでさりげなく他者を手助けする。
昔読んだR.J.パラシオの『ワンダー』をちょっと思い出した。
あの本でも、テーマは「親切」だった。
「親切」って言葉はちょっと道徳くさい響きがあるけれど、良心を持って人に優しく接すること、親切にすることができるって最強だ。
それを象徴しているのが、本の帯にも書かれている、律の小学校の担任、藤沢先生の言葉。
(以下、引用は本書より)
律に救われた研司は言う。
律も思う。
そんな風に思えることこそ幸せだ。
ところで、忘れてはいけないのがネネ。
ネネは人間の言葉をオウム返しに繰り返すだけではなく、ちゃんと理解して会話もできる賢いヨウムだ。(サ行の発音が苦手なとこがかわいい)
音楽が好きで、水車小屋で見張りの仕事をしながらプロコル・ハルムの『青い影』やクリムゾンの『風に語りて』、レッチリの『ギヴ・イット・アウェイ』を完コピで歌えるし、受験勉強の相手もするし、その知恵や能力で人も助ける。
津村記久子の小説にはよく音楽が出てくるが、この本にもやたらと登場し、知らない曲や忘れてる曲だと読みながらつい検索してしまい読書中断することしばしば。
ネネの音楽の好みは広範囲にわたっているが、その他にも町の婦人会コーラスの候補曲とか、ラジオDJをやっている律の友人の選曲もバラエティに富んでいる。
ネネの歌聞いてみたいし、トーキング・ヘッズに合わせて横ノリで踊るとこも見てみたい。
音楽だけでなく、児童書や映画のこともちょいちょい話に挟まれるが、そういうのは楽しい。
まじめな藤沢先生が地味なスーツの中に着ている個性的なテイストのシャツは、だいたい輸入古着屋で買っていたというのにシビれた。
津村記久子が描く人たちはみんな、背景に深みがあって、もっとこの人のこと知りたい!という気にさせる。
石臼で挽いたそば粉を使ったそばが無性に食べたくなり、あと、映画『グロリア』と『レイジング・ブル』も見返したくなった。
ところで、杉子さんが律に古本市で買ってくれた「ダシール・ハメットの小説を児童用に書き直した本」というのは、『私立探偵ラッシュ』のことだろうか?
気になる。
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