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山にむちゅう(6)

 中内の通報からすぐに5人の警察官がやってきた。その内、3人は社内で事情聴取、温和そうな年配の警官といかつい見た目の比較的若手の警官が対応にあたってくれた。
 後日、事件性があるとのことで、署に赴いて事情聴取に向かった。主任は仕事を休むことに不満そうな顔だったが、中内からの言伝に加えて、由真、それから珍しいことにいつも主任に対して碌に逆らえない祥子が味方に付いてくれた。ありがたいことに会社はたまっていた有給休暇で処理してくれるらしい。

 ――被害に遭ったのに有給で警察に行くのか!

 やってられない調子で10時ごろに署の方に行くと、かなり閑散とした様子だった。それなりに大きな警察署であるはずだが、ほとんど誰もいなかった。
 出払っているのだろうか、奥の方で警官が怒鳴る声がするが、受付から見えるのは一人。事務担当の女性警官が電話対応に当たっている一人と、それから交通安全組合の腕章をつけている老人ぐらいしかいない。

 ということは声を掛けるべきは事務担当の警官だろう。警官が受話器を置いた隙に声を掛けた。事務担当の警官は鬱陶しそうな顔で応対した。

「なんですか」
 警官はやけに冷たい声で返事をした。
「昨日の事件の調書の件で伺ったんですが、……北村祐介というモノです」
「そうですか。担当の者は誰ですか」
「あー、そうか。……いえ、何か連絡先みたいなものを貰ったと思うんですが、私ではなく中西、会社の者の方に渡ったみたいで。……△△ビルの暴行事件の件なんですが」
 警官の態度に少しどもりながらも、なんとか説明する。事件が事件なだけにあまり話したくはなかった。
「あー、そうなんですね。すみません、私ここの担当ではないもので。臨時でここにいるんですよ」
「ん、出直した方がいいですか」
「いえ、せっかくご足労していただいているので少し調べます。電話、かかってきたら出ますけどいいですか。見た通り、私一人しかいないので」
「ええ、全くかまいませんよ」
「では、調べますので、こちらお掛けしてお待ちください」

 事務担当の警官はフェイスタオルで脂ぎった顔を拭いながら、深く嘆息した。それから、何かファイルをいじりながら、祐介に短く質問していくが、どうも歯切れが悪い。
 警官は「すみません、いつもの受付担当がいないもので。少し手間取っています。なんというか、出払っているんですよ。こんなことめったにないんですけどね」と苦々しい口調で唸った。

「なにか、大きな事件があったんですか」
「ま、なんというか、まあなんか聞こえるでしょ。取り調べ、というか、取り押さえというかしてるんですよ」
 警官は奥の方を指差した。何か暴れる音が聞こえる。
「9時頃までここで暴れてましてね。まあ今は随分おとなしくなりましたけど」
「あれでですか」
 祐介はすぐそこで暴れている人間がいると知ると少しゾッとする思いをしたが、警官はもう飽き飽きしている様子だった。朝からずっとこの調子なのかもしれない。つっけんどんな態度は朝からの騒動にもうヤケクソになっているのだろう。

「……ハア。今日はバタバタしているんですよ。あっちこっちに警官が行くことになって。あなたがおとなしいのが助かります」
 祐介は愛想笑いを浮かべると、警官は吐き出すように「受付の娘が襲われましてね、奥でやってるのはその件。それで私が下に降りてきたんですよ」と恨み節を言った。

「おかげで、朝から電話応対を一人でやっていましてですね。……ハア。見ての通りです」
「それは大変ですね」
 警官は一応状況が状況なので説明するといい、成人男性が暴行まがいのことを行ったらしい。大事には至らなかったが精神的ショックが大きかったらしい。それで気を失って、受付の女性警官は救急車で連れていかれたという。

「はあ、あんなのでビビるのは警察官としてダメですよ。気丈に振るわないと。……あなた、とんでもないときに来ましたね。少し前に来ていたら危なかったかもですね」
「はあ。でももう大丈夫なんでしょう?」
「一旦はね。警官も出払っているので、奥のが飛び出して来たら、一目散に逃げてくださいね。奥に五人ぐらいいるし、暴れたのはまあよくその辺にいるおじさんなので、まあないと思いますが。こっちは一難去って、ひとまずは。という感じです」

「こういうの多いんですか」
「まあ、知ってると思いますけど、朝方は夜通し飲んでた酔っ払いとかね、……でも警察署までくるのはなかなかいないな。まあ、今日は外にでてますからね。……そうだ。お伝えしておいた方がいいでしょうね」

 警官は手を止めて、祐介の顔を見た。
「虎ノ門の周辺で揉め事があったみたいでね」
「揉め事?」
「虎ノ門というけど、愛宕山の周辺だよ。なぜか観光客があふれる程来ちゃったみたいでね。中国かアメリカかのツアー客と急に集まった日本人客がぶつかっちゃってね。とんでもない人通りらしいですよ。それこそすれ違う隙間もないみたいな。満員電車みたいな状態らしいですよ」
「変な話ですねそれ。あの辺なら、普通なら皇居とか芝公園の方行くでしょう。そんなに詰めかけたんですか」
「あれ多分、ニュースになると思うよ。そのせいかわからないですけど、301号線沿いのちょっと入ったところで車が横転したらしいし」
「それで、あんなに出払ってたんですか」
「いやいや、まあそれだけじゃないんだけど……まあ。とにかくね、今日はあっちの方面から帰るのやめた方がいいかもね。道塞いじゃってるし、駅も変な込み方してるしね。少しでも大回りして帰ったほうがいいですね。スマホの速報とか確認してやってください。多分、今山手線一時運転見合わせになってると思いますよ」
 警官が言うには新橋駅の混雑で電車が運行見合わせだという。どうやら観光客が駅のホームから線路に飛び出したらしかった。愛宕山の方では混雑のせいで暴徒化した訪日観光客が軽四をひっくり返す事件を起こしたという。今は警官が集まって対応しているらしいが、しばらくは騒動は収まらないだろう。

「とんでもないことになってますね」
「そうですよー。ここの署は人が来てないですけどね。新橋の方は人があふれて大変らしいですよ。ハロウィンじゃないですけど、人が集まるとスリとか暴行とか必然的に増えますからね。それで、ほかの署にも内から応援に行ってるんですよ。帰るときは気を付けてくださいね。……ありました。お待たせしましたね」
 警官は正解のファイルを引き当てると、また嘆息を漏らした。
「では、担当者が分かりましたので、今から連絡します。手が空いていれば、すぐに来るとは思います。それまで、掛けてお待ちください」
「ここで、ですか」
「嫌なら、外で待ちます? お呼びしますけど」
「いえ、結構です。ここで待ちますよ。……出てこないですよね。奥の人間」
「さあ」

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