【小説】アイツとボクとチョコレート【8話】
8話 翼重なる場所
【Side:ミツハ】
(ここが『ショッピングモール』……)
生徒に勧められてやってきたのは、巨大な商業施設。
足を踏み入れるなり、私は感動の渦に巻き込まれた。
(大きい! 広い……! 天井が高い…………!!)
いわゆる吹き抜けという建築様式だ。普段はずっと保健室と自宅マンションの往復というのもあって、とてつもない開放感を覚える。
それから、ほんの少しの懐かしさ。
(あの森の洞窟も、このくらい大きかったな……)
ドラゴンとは体の大きさが違うから、体感でしかないけれど。それでもやっぱり思い出してしまう。
不思議な気持ちに包まれながら、モールの中の広い通路を歩いた。広いからといって、歩きやすいわけではない。縦横無尽に走る子供たちにぶつからないようにするには、熟練の技術を身に着ける必要がありそうだ。
(この1週間ちょっとで嫌というほど体験したけど、
人間として生きるってこんなに大変なんだ)
そんなことを思いながら、教えてもらったパンケーキの店を探していると――
カランカランカランカラーーーーーン!
不意に甲高い鐘の音が鳴って、ビクリと足を止める。
「おめでとうございまーす! 3等賞、グルメギフト券で~す」
(……なんだ、福引所か。確かさっきもどこかにあったような)
その記憶が間違っていると気づいたのは、それからしばらく後、再び鐘の音を聴いた時のことだった。
「おめでとうございます! お米券5キロ分です~!」
この声には聞き覚えがある。さっきのグルメ券の時と全く同じだ。……ということは。
(福引所がいっぱいあるんじゃなくて、
同じところをグルグル回ってたんだ!!)
館内地図だって手元にあるというのに、全く役に立っていない。こんな貧弱な方向感覚では、目当ての店など見つかろうはずもなかった。
情けない。あまりにも情けない。高校の教師としても、1000年以上の時を生きるドラゴンとしても。実感するほど力が抜け、私は目当てを諦めて近場のカフェでお茶を濁すことにした。
簡易な雰囲気のカフェは入りやすいのか、お客さんでいっぱいだ。なんとか座る場所を見つけ、深く息を吐く。するとどこからともなく、店員さんが近づいてきた。
「お客様、すみません。こちらはご注文をされた方のみ
ご利用になれるお席なのですが……」
「はい、注文お願いします!」
「あー……ええっとですね、
当店はセルフサービス形式となっておりまして――」
「?」
まさか店員さんも、見た目20代の女性に、子供や高齢者にするような説明をいちから丁寧にする羽目になるとは思わなかっただろう。ようやく店の方式を理解した私は、お礼を言って注文カウンターへと向かう。
「ご注文はお決まりですか?」
「りんごジュース、ありますか?」
「青森県産アップルジュースですね。サイズはLのみとなっております」
「は、はい。それでお願いします」
それからポイントカード、支払方法、なんだのかんだのと複雑な儀式を通過して、ようやく目当ての飲み物を手にする。ほっとして席に戻り、ストローに口を付けようとしたまさにその時。店の外で聞き覚えのある声が響いた。
「危ない! 降りて!!!」
(この声……ベル様!? どうしてベル様がここに……)
私はアップルジュースを諦めて、すぐさま店を飛び出す。
すると吹き抜けに面した手すりに、小さな男の子がよじ登っているのが見えた。その足に、ベル様がしがみついている。
「じっとして! 動くと落ちるから!」
「でも風船が!!」
「風船くらい、ボクが後で買ってあげるよ!」
どうやら男の子は自分の手を離れた風船を取るために、手すりによじ登ったらしい。それをベル様が全力で止めようとなさっている。しかしながら男の子は聞く耳をもたなかった。
「あれじゃなきゃだめなの!」
「風船のために死んでもいいっていうの!?」
そんなやり取りをしている間にも、風船は遠ざかっていく。
(……今の私に出来ることはひとつ。ベル様、申し訳ありません!)
「ベル様、失礼。肩をお借りします!」
「は!?」
大きな目を更に丸く開いて、ベル様が驚愕の表情を浮かべている。だけど今は気にしている余裕なんてない。私は助走をつけて駆け寄り、ベル様の両肩を跳び箱のように使ってジャンプする。つづけて右肩に踏み込み、二段飛び。体が宙を舞う。腕を伸ばせば、風船から垂れた紐の端までもうすぐだった。
(お願い……! 一瞬だけ、力を!)
指先から背中へと、意識を移動させる。本来ならば、翼が生えている場所だ。皮膚がかっと熱くなって、そこから大きく広がる感覚。私の体は見えない翼の力で、ほんの少し持ち上げられた。
「……取れた!」
(これであの子供もおとなしくなる。ベル様も喜んでくださる!)
私は意気揚々とベル様を見下ろした。しかしベル様の顔に刻まれていたのは、あからさまな怒りの表情だった。
「……バカ!!」
罵られると同時に、足が強く引かれる。
それでやっと気が付いた。背中に向けていた意識が途切れたせいで、翼は力を失い、私の体は重力に従って落下し始めていたのだ。
状況を客観的に描写すると、こうなる。
1、吹き抜けの手すりから真っ逆さまに落下しようとしている、風船を持った女。私。
2、その逆さ女の足を持って支えている、学生らしき女の子。ベル様。
3、心配そうに見守っている、小さな男の子。
4、騒ぎに気づいて集まってきた人々。
「あれ、ヤバいんじゃないか?」
「オレ達も手伝おう!」
ありがたいことに数人の男性が駆け寄ってきて、ベル様を助太刀し始める。
(本当はもう一度翼の力を使えば助かるんだけど……
さすがにこんなたくさんの人たちの前で見せるわけにいかないか)
「ぐっ……重……」
(ですよね……ドラゴンなんで……すみません)
それから警備員の方々が出動し、私はついに救出された。
まるで『大勢でかぶを抜く絵本』のようだったと、男の子が後で言っていた。
**
「本っ当に申し訳ありませんでした!!!!」
風船を持った男の子を挟み、一組のカップルが深々と頭を下げる。聞けばその風船は、特撮ショーで大好きなヒーローから直接渡されたものだったのだそうだ。つまりは世界にひとつと言ってもいい風船。男の子の大胆な行動にも、深い理由があったわけだ。
「気にしないでください。
むしろ私が騒ぎを大きくしてしまったみたいで……」
「とんでもない! あなた方は息子の命の恩人です。……そうだ」
彼は何か思い出したのか、バッグを探って封筒を取り出した。
「グルメ券です。福引で当たったものですが、よかったら使ってください。
すぐそこにあるパンケーキ屋さんでも使えますよ」
「えっ」
指さされた方向を見ると、確かにパンケーキ屋さんがある。
あんなに探し回ったパンケーキ屋さんが……!
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げると、ベル様に肘で小突かれた。
「……ちょっとくらい遠慮しなよ」
「そ、そうではなくて! この店をずっと探してたんです」
「なんかズレてるんだよね……。アンタはしばらく黙ってて」
ベル様は私を脇に押すと、一歩進み出て男性に会釈をする。
「恐縮ですが、いただいておきますね」
「そうしていただけると助かります。
それと、何かあったらこちらの名刺の住所まで連絡をください」
「重ね重ね、ご丁寧にありがとうございます」
「では。本当にありがとうございました」
家族は時々こちらを振り返りながら、遠ざかっていく。ベル様と私も、その度に会釈をした。
(ベル様、まだ高校生なのにご立派だなぁ……)
そんなことを考えながら小さくなっていく3つの影を見送っていると、また隣から小突かれてしまった。
「で……このチケット、どうすんの?」
「どうするって?」
見上げるベル様のお顔に、少しだけ期待の色が見えた気がした。
(つまり……もしかして? いや限りなく、これはチャンス!)
「行きましょうっ!! 今すぐに!」
>>9話につづく
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