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#6 明けていく空に残る月を見ていた vol.1


パンデミック真っ只中の大学入学。

親しい友達にも話したことがない話をしてみようと思う。


2020年。
私は高校3年生だった。大学入試を無事突破し、卒業を間近に控え、早く大学生になりたくてうずうずしていた。


そんな中で、感染症はじわじわと姿を現す。

卒業式は短縮型ではあったものの、生徒たちを体育館に集めて執り行われた。卒業証書を手に戻ってきた教室には何だか明るくて新鮮な空気が流れていて、平和すぎた高校生活に爽やかに別れを告げることができた。

私は高校生でなくなった。


4月。緊急事態宣言。
大学からは、入学式延期の連絡が届いた。授業も当面始まらないとのことだった。

STAY HOMEが謳われたが、おうち時間を何をして私は過ごしたのかもはや覚えていない。
このあたりから私の記憶は曖昧さを増していく。

もう高校生ではなくなり、大学生にもなれず、何者でもない、何の責任もない、ふわふわした1ヶ月を過ごした。


5月。
ある日突然大学からメールが届いた。〇日からオンラインで授業が始まります、パソコンとインターネット環境を準備してください、事前課題に取り組んでください、と。

私は家にダンボールいっぱいに届いた教科書の該当する章を読んで課題に取り組んだり、大学で使うために買ったiPadにノートのアプリをダウンロードしたりして、ちょっぴりわくわくしていた。
新しい何かが始まることが楽しみだった。


授業が始まった。

オンラインの授業は、人の姿が見えないものだった。

先生は初回の自己紹介こそ顔を見せてくれたが、授業に入るときには、回線が遅くなるから、とカメラをオフにしてしまった。
画面に映る粗くぼけた先生の顔は見えても、先生がどんな背丈で、どんな体型で、どんな立ち方で、どんな仕草をし、どんな雰囲気をまとった人なのかは、全く見えなかった。

1回だけ見た粗くぼけた顔を頼りに、真っ黒な画面から聞こえてくる声を私は一生懸命聞いた。
けれど、言ってしまえば知らない人の声を集中して聞き続けるのは私にとってストレスフルだった。

また、100人くらい同じ授業を聞いている学生がいるはずなのに、彼らの顔を知ることもなかった。回線速度を守るために、全員がカメラをオフにして参加する約束だった。
自分の部屋で1人、私は授業を受けた。


私は突然大学生になった。

入学式や、新しい友達との出会いや、オリエンテーションや、そういうことを全部すっ飛ばして、何事もなかったように、大学生としての日常が勝手に動き出した。


それからの日々は、勉強漬けだった。

朝起きて、自分の部屋で画面に向かい1コマ90分の講義を毎日4つずつ受けた。夕方に授業が終わると、その日の授業の事後課題と次の日の授業の事前課題が待っている。課題をやっているうちに家族に夕食に呼ばれ、食事を終えると早々に自分の部屋へ戻ってまた課題をやった。課題を提出してお風呂に入って眠った。

気づけばずっと自分の部屋にこもっていた。

毎日毎日授業と課題を詰め込まれて、毎日10時間をそれに費やした。大学受験のとき以上に学業に時間を割いていたと思う。


少しずつ、私のエネルギーは減っていった。

始めは、カメラをオフにすることを良いことに、授業が始まる直前に起きて寝癖のついた髪で朝ご飯を食べながら授業を聞くようになった。

いつからか、90分座った姿勢を保ち続けるのが辛くなって、机につっぷしたりベッドに寝転んだりしながら授業を聞くようになった。

ときどき、授業に繋いだパソコンのボリュームを0にして、画面を伏せて、授業が終わる時間まで違うことをすることもあった。
インターネット接続が悪いふりをして授業を途中でぶちっと切ったこともあった。


夏が来る頃には、睡眠が脅かされ始めた。眠れずに夜中まで起きているようになった。思考が渦巻くようになった。
夜中の2時や3時になると、漠然とした不安が襲ってきた。でもその不安をどうしたらいいのか私は知らなかった。

オンラインの授業が大変だと母にへらへらと言ってみたことがあったけれど、母がくれた前向きな言葉が私には辛かった。何も言わずただ話を聞いてほしい、という簡単な一言すら知らなかった私は、母に相談することを諦めた。

ベッドで1人、孤独と不安に押しつぶされそうになって、どうすることもできずにもがいて、余計に溺れて、朝の4時か5時くらいにやっと眠りについた。


もう私のエネルギーは枯渇していた。

シャワーを浴びるのにこんなにもエネルギーが必要なのかということを初めて知った。

服を脱いで、頭と身体を洗って、その時間立つか座るかしていないといけなくて(座っているのにも多くのエネルギーが必要だった)、頭と身体を拭いて、服を着て、髪の毛を乾かす。
シャワーを浴びるには、その全てのステップを踏まなければならない。私にはそれらのステップがとても多く感じ、そしてそれをできると思えるだけの気力や自信もなかった。

それでも私の理性はやれと言うので、何とか気力を振り絞って2日に1回くらいはシャワーを浴びていたけれど、それぞれのステップの途中で心が折れそうになってしばらく動けなくなることが何度もあった。


普通なら自由とワクワクに溢れているはずの夏休みに、晴れた日はなかった。分厚い霧が立ち込め、光が入り込む隙もなかった。


(vol.2へ続く)

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