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#7 明けていく空に残る月を見ていた vol.2


夏休みが明けようとしていた。


限定的に対面での授業が始まることになっており、それはつまり、朝起きて支度をし、電車に乗ってキャンパスへ行き、人がたくさんいる空間で1日を過ごし、気の知れない人たちと話し、また電車に乗って家へ帰ってくる、という大きなミッションを含んでいた。


私には、授業に出られるビジョンが全く見えなかった。

電車に乗って移動できるエネルギーがあるのか。キャンパスに辿り着けたとして、横になったり気を抜いたりすることのできない空間で1日を過ごせるのか。今の気力で新しい人たちと話せるのか。

一寸先は真っ暗闇だった。


結局のところはというと、対面の授業もオンラインの授業も単位を落とさない程度に出席しときどき欠席した。課題やレポートは適当な文字で埋めて提出した。試験はなぜか全て合格だった。

対面の授業になぜ出席できていたのか、試験にどうやって受かったのか、今では自分でもわからない。夏休み明け以降を思い出せない。

私はきっと操り人形だった。
自分で自分を操ることなどできず、そこにある流れだけがきっと私を動かした。


気がついたら、冬が来ていた。


ある日。21時。
中学時代から付き合いのある2つ年上の友達から、前触れなく電話がかかってきた。

“ねえ、今からドライブ行かない?”

私は何かに導かれるように、行く、と返事をした。普段なら突然のお誘いはあまり好かないはずだった。
しばらくして彼は車で私の家の前まで来て、私は車に乗り込んだ。夜の道を流れるように走り、山の上の公園に向かった。


車から降りて見上げた空は、高くて、広くて、美しかった。手で掴みたかったけれど、空が遠くてできなかった。空を紙に写しとって持って帰りたかった。いつまでもいつまでも眺めていられると思った。
澄んだ空気の中で頬に冷たさを感じて、ただそこに立って、満天の星を眺めた。

星が流れた。
目の右端でも左端でも星が白く素早く流れるのが見えた。星はいくつもいくつも流れ続けた。

その日はふたご座流星群の日だった。


その日から、私は私を取り戻し始めた。
少しずつ、少しずつ、何も変わらないようで何かが変わっていった。
霧の中の遠くの方にわずかな光が差す気配がした。


苦しかった。そう思うまでにそこから半年くらいかかった。霧から抜け出してようやく、自分が不安定さを孕んだ存在だということを知った。


私を助けたのは、私の周りにいた人たちだった。
彼らがどこまで私の心の霧を感じていたかはわからない。けれど、夜中にドライブに連れ出してくれた彼や、ご飯に誘い出してくれた人たちや、Zoomで朝までどうでもいいお喋りをしてくれた人たちがいなければ、私が霧の中に光を見るのはもっともっと後だったかもしれないと思う。


それから私は、自分の心にフォーカスするようになった。

霧の中にまた迷い込んでしまうことを心の隅で恐れつつも、今は不安定さの上をゆらゆらと乗りこなして、霧がかからないように晴れたところを選んで進めるようになっている。

この先も優しい光の差すところを歩いていけるように祈りながら、私は今ここにいる。


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